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2023年2月6日 ディボーション

ホセア書 5章 

 

『偶像礼拝について』 アイゾン直子

 

 イスラエル(北王国)のリーダーである祭司や長老、そして王に対する審判が言い渡されます。彼らは、民を守るどころか罠にかけ、正しい道に導くどころか誘惑して罪を犯させ、破滅への準備をさせました。ミツパもタボルも共に偶像礼拝の場所です。ミツパは罠となり、タボルは誘惑の網となりました(BibleHub Hosea5参照)

 

 誤ったリーダーによってイスラエルの民は、偶像礼拝の罪を犯しました。そのことは南王国であるユダも同じでした。そのような民に対して主は、彼らから離れ去ります。

 

「彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。」(6)

 

 イスラエルは、父なる神との契約関係に入った時、父なる神の妻となりました。しかし彼女は偶像礼拝によって霊的姦淫を犯したため、夫から離縁されたのです。そしてその状態は、今も続いています。

 

 ホセアの姦淫の罪を犯した女との結婚は、そのような神とイスラエルとの関係を示したものだと言います(ハーベストタイム参照)。この姦淫の女同様、イスラエルも悔い改めるどころか、ますます背信し、アッシリア捕囚を迎えることになります。

 

「わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。」(15)

 

 モーセの律法にある十戒の最初の三つは、すべて偶像礼拝への戒めとなっています。「わたし(主)以外に、ほかの神があってはならない」「自分のために偶像を造ってはならない」「それらを拝んではならない」。

 

 完成された聖書を読む者にとって、偶像礼拝は忌むべきものであることは当然と考えます。しかし、本当に、全く、偶像礼拝をしていないと言えるか、と言うと自信がありません。確かに、人間が作ったものを拝むことはありませんが、それだけで偶像礼拝をしていないということにはならないと、聖書は教えているからです。

 

 少し長いですが、偶像礼拝について非常に分かりやすく解説しています「GotQuestion」のサイトを引用したいと思います。

 

 「現代にある偶像礼拝の多くの例には一つ共通する点があり、それは自己崇拝です。現代、偶像にひれ伏す人は多くいませんが、自分という神を礼拝していて、この偶像礼拝には様々な形があります。


 現代の偶像礼拝の一つめの形は、物質主義です。物質主義は、自尊心を確立するために新しい物を取得し続けるのです。私たちの家庭は物質主義的な物で溢れています。家を大きく建て続け、さらに多くの物をしまっておくために物置部屋や倉庫を建て、後払いで色々手に入れるのです。私たちの持っている物の多くは計画的に旧式化されるように設計されいて、やがて役に立たなくなり、しまっておくだけの物に変わり、私たちはさらに新しい物を買いに行き、同じ事を繰り返すのです。この満たされる事を知らない、最新の、最善の物を多く手に入れる事への願望は、欲しがる罪そのものです。十戒には「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない」(出エジプト20:7)と書いてある通りです。神は私たちが物質主義的な生活をしても満たされる事はない事を知っておられます。物質主義は、私たちが神ではなく自分に注目し続けて生きるようにするサタンの罠なのです。


 現代の偶像礼拝の二つめの形は高慢さと自尊心です。これは私たちの仕事での成功への執着に現れています。何百万人もの人々(男女共に)が毎週60-80時間、週末も休暇も返上して働いていて、いつでもどこでも、どうすれば次の出世や昇給を受け、商談を成功させ、会社を大きくする事ができるかを考えているのです。それと同時に私たちの子供達は、愛と関心を受け取る事に飢え渇いているのです。私たちは家族のために働いているのだと自分に嘘をつき、実は社会での成功を通して自尊心の確立を得ようとして、他でもない自分のためだけに働いている事を隠しているのです。これはとても愚かな事です。私たちの死んだ後には、永遠の価値がない、社会的成功や私たちの達成した事、人々からの羨望などは、なんの意味もなくなります。ソロモン王が「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。(伝道者の書2:21-23)と言っている通りです。

 

 現代の偶像礼拝の三つめの形は自然主義と科学を通しての人類の偶像化と言えるでしょう。この世界観は私たち人類をこの世の支配者とし、私たちの自尊心を神のようなものと確立するのです。私たちは神のみことばと、どのようにして神が天地を創造したかを拒み、自然主義と進化論という信じがたい学論を信じるのです。また私たちは環境保護論を硬く信じ、やがて終わりが来ると神が定めた地球を永遠に保持できると信じ込んでいます。終わりの時に神は全てを新しく変え、新しい天と新しい地を創造されます。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。(IIペテロ3:10-13)。この箇所にはっきりと書いてある通り、私たちは環境を拝する事に集中するのではなく、主であり救い主である、ただ一人礼拝されるに値するキリストが再び来られるまで、聖なる生活をする事に集中するべきです。


 現代の偶像礼拝の最後の、そして一番有害な形は自己の強大化を求め、他人の必要や願望を除外する傾向に現れています。この世界観はアルコール、薬物、そして食物への依存にも見られます。裕福な国々の人々はアルコール、薬物や食物をいつでも入手する事ができ、肥満、糖尿病など、生活習慣病に結びつきます。私たちの食欲やアルコール、薬物への願望の前に自制心はたやすく跳ね返されてしまい、私たちは自らの欲をコントロールする事を拒み続け、自分の人生の神となるのです。この世界観は創世記3章で、アダムとイブに向けられたサタンの「あなたがたが神のようになり…」という言葉から始まり、その日からずっと人類は神となる願望を満たすために自身を礼拝し続けているのです。


 自己崇拝の中心には1ヨハネ2:16に書いてある三つの欲があります:「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」

 私たちが現代の偶像礼拝に打ち勝つためには、それが深刻なものであると認め、その全ての形を拒む事が必要です。偶像礼拝は神からではなく、サタンからくるものだからです。自己愛が満たしをもたらすという嘘はサタンがアダムとイブに言った最初の嘘なのです。私たちは自己中心的に生活し続けても満たされる事はありません。私たちの心と体は神と隣人を愛する事に集中されるべきです。これが、イエスがマタイ22:37で、一番優れた命令が何かという質問に次のように答えた理由です:「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」私たちが神と人々を愛するならば、自己崇拝の入る余地はなくなるのです。」

 

 祈り:愛する天のお父さま。イスラエルの民の不信仰を通して、自身の不信仰についての気付きが与えられましたことをありがとうございます。いかなる偶像礼拝もすることのないよう、また守られるよう、どうか日々、みことばを通してお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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