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2023年1月10日 ディボーション

コリント人への手紙 第一 7章


「主が先か、まず妻か?」 森 宗孝


 7章32〜34節「あなたがたが思い煩わらないように、と私は願います。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうすれば妻に喜ばれるかと世のことに心をくばり、心が分れるのです」

 パウロさん、本当にあなたは独身だったの? 確かに彼は結婚した男の心の内を見事にを言い当てています。しかしながらパウロは決して結婚に反対しているわけではありません。

 パウロは約1年半ほどコリントで布教に努め、生活し、やがてユダヤ人からの迫害が厳しくなったのでエペソに移りますが、コリント教会の事が心配で何度も手紙を書いたのです。

 コリントは港町として栄えましたが、風紀が乱れて、教会も分裂気味、恐らく7章は結婚についてコリント教会からの質問状に対する返答であったようです。

 32節のみことばだけを読むと、パウロは独身主義が一番のように読めますが、決してそうではありません。10節「すでに結婚した人たちに命じます。命じるのは私ではなく主です。妻は夫とは別れてはいけません」

 自分の運命は自分で切り開く、自分の身体は自分のものだから他人からとやかく言われる筋合いは無い。そのように世間では考えるのですが、パウロはあなたの身体は神のもの、心も魂も差し出しなさいという立場から、コリント教会の質問、恐らく独身主義に対する答えを記しています、信者と未信者の結婚の場合、離婚の場合、再婚の場合などを書き送るのですが、パウロにとって大事なのは、結婚や家族、家庭の事よりも、目を向けるべき相手は、造られた創造物ではなく、すべてを造られた、創造主なる神に目を向けるべきという、土台に立って実際に、コリント教会で起こっている生活問題、結婚、離婚、再婚につていて、親展として書き送ったのです。

 これをキリスト教のすべての結婚の教理として理解すべきでは無いでしょう。パウロは主の日、裁きの日が目前に迫っているとの理解から結婚を見ています。しかも、さらにはっきりと結婚の奥義は別の箇所に示されています。

 エペソ5章31〜32節「「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」        夫婦として一体になる事は、三位一体にも繋がっています。夫と妻が結ばれ、喜びの中に一体となり、新しい命が、赤ん坊が出来る姿は、愛の中に交わる神の三位一体を見る事が出来ると思いませんか? やがて子羊、主イエスが妻である教会を迎えに来られる、この姿が、この世の夫と妻が指し示す所、神の奥義として描かれているのです。ですから独身主義を奨励しているわけではないのです。

 さて、男女の立場を日本の明治時代にさかのぼってみます。男尊女卑の激しい熊本県に、熊本洋学校がジョーンズ教授によって開校された頃、湯浅初子は入学を希望したが叶えられず、ジョーンズ夫人から特別に、英語や数学を学んでいた、そして遂に座席もない廊下で教授の授業を聴講していた時に、男子生徒が男女共学的行為に対して抗議の声があがった。クリスチャンであった教授は、男子生徒達に「君たちの母上は、女か男か」と一括して、授業を続けて、人格の尊重を訴えたと記されています。

 やがてこの初子の家系から、多くのクリスチャンが世に出て来るようになった。日本の明治時代がそうであったように、主イエスの時代も男子中心の世界である中で、パウロはⅠコリント11章12節「女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています。」と男女の役割は異なるが、神によるそれぞれの人格の尊重を訴えかけているのです。当時としては驚くべき立場であっただろうと思います。

祈り

天の父よ、どうか私たち夫婦の間にも主の栄光が表せるように、弱い私を導き下さい。聖霊の力を与えてください。光の中を進む事が出来ますように アーメン

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