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2023年12月15日 ヨハネの黙示録21章

『新しい天と地』


 以前の天と以前の地は過ぎ去り、新しい天と新しい地とが現われます。新天新地は、創造主なる神が最初から目指していた世界であり、創造主なる神とすべての被造物が一つになる真の平和と幸せの世界です。そこには海はありませんでした。


 これは以前の、つまり現在の世界とは大きく異なる点のひとつです。ヨハネは、そこで、聖なる都エルサレムが天から下って来るのを見ました(2節)。それはあたかも夫のために飾られた花嫁のように整えられていました。夫はイエス様、花嫁は教会のことを指しています。大きな声が御座から出て、聖徒たちに対して、「見よ、神の幕屋が人とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」と、神ご自身からの永遠の慰めのことばが語られます(3、4節)。また、「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」という完全な回復の約束の宣言がなされました(5節)。


 現在の罪のもとにある世界を経験している私たちが、自分の感覚や経験で読むなら、間違って理解してしまうところです。罪のない、聖なる神の栄光に満ち満ちた新天新地が現実のものとなります。その完成された世界を、神ご自身の栄光によって照らすので、もはや夜はありません。愛と恵みと慈しみの栄光が、すべての被造物を覆います。


 7節のことばのように、父なる神と聖徒たちは、キリストを通して、父と相続関係に置かれ、親と子の関係にあることが宣言されています。そのあと、10節では、御使いは御霊によって、ヨハネを、大きな高い山に連れて行きました。そこで、聖なる都エルサレムが神のみもとから、天から下ってくる様子を見せられました。都には神の栄光があり、その輝きは高価な宝石の輝きに似ています。透き通った碧玉のようであったとは、エルサレムが素晴らしい発光現象を伴って出現したということでしょうか。


 聖なる都には城壁があり、そこに12の門がありました。城壁は、過去においては敵の侵入を防ぐために設けられていましたが、新天新地ではもはや攻撃する敵はいないので、ここでは天の都の威厳を示すために設けられてのでしょうか。又、門にはイスラエルの12部族の名前が記されていて、土台石には、12使徒たちの名前が記されていました。12使徒たちの名前も永遠に記念されるものであり、全ての人たちが、福音を伝えた12使徒の働きに感謝を覚えるためでしょうか。


この都の中に神殿はなく、全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである(22節)とあります。立方体の都の真ん中に、神の御座があります。父なる神と御子イエスの栄光がすべてを照らす光であり、暗やみは存在しません。その輝きは、最高の宝石に似ていて、透き通った碧玉のようであったと記されています(11節)。


 都の門は一日中、決して閉じられない。そこには夜がないからであるとあります(25節)。いつでも自由に入れるので安心です。ただし、小羊のいのちの書に名が書いてあるものだけが入れます。私たちの名も、小羊の書に記されています。やがて、私たちも、この地上での生涯を終える時、主の栄光を仰ぎ見ることになります。


主の祈り:暗闇のない新天地にある子羊の書に私たちの名が記されていることは、信じ難い程の大いなる恵みです。神様と、私たちの罪を負って十字架上で貼り付けになったイエス様、あなたのはかりしれない愛を感謝します。アーメン



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