『娘ディナ事件』
このヤコブの娘ディナが汚されたのは、カナンの地にあるシュケムの町であった。その土地の族長ヒビ人ハモルの子、町の名前と同じだが、シュケムが、ちょうど町を訪ねてきていたディナを捕らえて、辱めた。 この町シュケムは新約聖書ではスカルという町であると言われている。ヨハネの福音書4章5節「それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリヤの町に来られた。」 サマリヤの女とヤコブの井戸で出会った場所がこのシュケムの町。でもここで起こった悲惨な出来事が、なぜか突然、どのような理由かよく判らないまま記されている。理解に苦しむ章である。
ヤコブは、神と、また人と戦って、勝ったからイスラエルという名を与えられ、長子の権利で長年、心を悩ましていた兄のエサウとの仲直りを終えてホッとしている矢先に、ディナの兄たち、シメオンとレビが剣で、シュケムの町の全ての男たちを報復で殺し、家畜を奪い、その人たちの全財産を略奪する事件となってしまう。
それぞれの立場で考えてみた、妹を捕らえられ犯された事に対する怒り、復讐を当然とする兄たちの気持ちも判る、反対に、ヒビ人シュケムが娘ディナに心を奪われ妻としようとした、当時の事を思うとあり得る話で 12節「どんなに高い花嫁料や贈り物であっても、私にお求めください。おっしゃるとおりに差し上げます。ですから、どうか、あの人を妻に下さい。」と話す態度に、相手がイスラエル部族では無かったら、娘ディナの気持ち次第で、丸く納めようとなったかもしれない。でもそうなるとイスラエル部族は、雑婚が始まり、異教の神が混入する可能性は高かった。
ヤコブの家長として、父親として、リーダーとしての資質が欠けていた事も分かる。殺戮を犯したシメオンとレビに、あなたがたは私に困ったことをして、この地の住民 カナン人とペリジ人に憎まれるようにしてしまった。というお父さんに対して、二人の息子は反発して31節「彼らは言った。「私たちの妹が遊女のように扱われてもよいのですか。」」ここに、父親の威厳は全く読み取れない。
しかしながらヤコブは神に選ばれた者、やがて彼は自分の死の床で息子達を呼び寄せて、彼らにこれから起こる事を告げるのです(49章になって)シメオンとレビに対して、彼らの剣は暴虐の武器、怒りに任せて人を殺した。私はヤコブの中で彼らを引き裂き、イスラエルの中に散らそうと預言されその通り、レビ族は土地を持たずに散らされ、シメオン族は、南部のネゲブの荒野地区を与えられるが固定された場所ではなく、ユダ族に吸収されるような運命をたどっていく。
ヘブル人への手紙10章30節「私たちは、「復讐はわたしのもの、わたしが報復する。」また、「主は御民をさばかれる」と言われる方を知っています。」
この34章を読み、この一節を思い起こしながら、まだ釈然としない、納得できない気持ちですが、いずれ、もっとはっきりと主のみこころが解るようになると信じてデボーションを終えました。
祈り
まだまだ、主のみこころが読み取れない自分がおりますが、少しづつでもみこころに近づき、理解できますように、私どもを導き続けて下さる事に感謝致します。 アーメン
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