「信仰=迫害+希望」
この手紙はパウロの書簡の中で残された最も古い書で、まだマタイもマルコ福音書も書かれる前の書簡です。テサロニケの小さなクリスチャン集団に向けて簡潔に信仰と希望と愛について描かれたのです。特に主イエス再臨の希望、聖霊による喜びという燃えるようなパウロの熱気を、この小さなテサロニケの信者達は受けるのです。
しかしながら、決してこのテサロニケというマケドニア地方の一都市の全員がパウロ達を両手を広げて歓迎してくれたわけではありませんでした。パウロは訪ねて行くどの町でも、まず初めにユダヤ人シナゴグ(会堂)が無ければユダヤ人の集まる場所から福音伝道を始めています。一握りのユダヤ人は主イエスを信じますが、その町の大多数のユダヤ人は、主イエスが迫害に遭ったようにパウロ達を神を汚す者達として攻撃の手を加える様子も描かれています。
使徒の働き17章13節「ところが、テサロニケのユダヤ人たちが、べレアでもパウロによって神のことばが伝えられていることを知り、そこにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。」
パウロはこのテサロニケ3章4節「あなたがたのところにいたとき、私たちは前もって、苦難にあうようになると言っておいたのですが、あなたがたが知っているとおり、それは事実となりました。」
クリスチャンという呼称は、実は嘲笑の言葉で、日本語に訳せば「キリストかぶれ、キリスト馬鹿」と言った使われ方が始めだったそうです。そのように嘲笑され、迫害を受けている信徒の群れに対して13節「そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。アーメン」と夜昼、熱心に祈っていると伝えています。パウロは主イエスへの信仰を蜂蜜のように甘いものとして伝道しておりません、逆に主イエスへの愛から引き離すための苦難が起こると伝えながら救いと同時に患難を予言し、迫害は信仰の半面にすぎずに、後の半面は希望であり、霊の救いを説いたのです。
パウロは第二伝道旅行の時にシラスと共に鞭打たれ、牢に入れられ逃げるようにしてテサロニケに着いて3週間という短い間、ユダヤ人会堂でイエスこそキリストであると論じ合ったのです。たった3週間だけなのに、福音が伝えられて小さなクリスチャンの群れが出来たのです。そうしてここから、今で言えばトルコやギリシャ全体(マケドニアとアカイヤ)に響き渡りました。パウロの伝えた神のみことばがいかに力があったかと思わされます。私達も伝道する機会がある時には、難しいけれども、信仰には患難が伴う事を初めから伝えるということの重要性を教えられています。
確かに主イエスもはっきりと言われました。ルカ14章26〜27節「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません」と大変厳しいみことばを語っておられます。先日の関先生は、この聖句から自分の十字架とは何かを語られました。理解が深まり感謝です。
私たちが両手を広げて、主の愛を一杯に受け入れようと手を出す時に、主は救いと恵みを右手に下さると同時に、左手には試練、患難を下さります。両方を受け取っているテサロニケの信徒の様子を、愛弟子テモテから受け取ったパウロの喜びが示されている3章でした。
祈り
パウロの言葉通り13節「そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められることのない者としてくださいますように。アーメン。」
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