黙示録16章は、七つの鉢に満ちている神の憤りが注がれるときの災害についての予言が述べられている。
第一の鉢の中身を地に注いだ。すると悪の象徴である獣に属する人々に悪性の腫れものができた。
第二の鉢が海に注がれたとき、海の中にいる生き物がみな死んだ。
第三の鉢を川と水の源に注いだら、それらは血となった。この血は、聖徒や予言者を殺した者が飲ませられる、神のさばきの血だった。
第四の鉢は太陽に注がれた。そして、太陽は人々を火で焼くことを許された。このような災害にあっても人々は、神の御名を冒瀆し、悔い改めて神に栄光を帰することはなかった。
第五の鉢の場合は、獣の座に注がれた。すると獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
第六の鉢が大河ユーフラテスに注がれたら、水は涸れ、河の東から王たちが渡って来る。彼らは汚れた悪霊によってハルマゲドンという所に集められ、そこで大戦争をおこすのである。このハルマゲドンは聖書中、最も議論の多い箇所であると言われている。この戦いは反キリストによって、他の王たちがイスラエルに侵略し、王の王なるイエスさまに戦争を挑む、患難時代の終わりに行われる最後の大戦争だと言われています。
最後の第七の鉢が空中に注がれた時、天から稲妻と声と雷鳴があった。そして、「事は成就した」との声と大きな強い地震があった。
このようなひどい災害がおこっても、人々は神を冒涜し、悔い改めようとしないのはなぜだろうかと思わされるところである。ある解釈者はこう語っておられる。「人間はまず自分に危険が迫ると、考えることは逃げ場である。逃げ場がなくなると、神を呪うようになる。つまり、イエスさまを受け入れない人々の神さまへの態度は、神を呪うという。」ことだそうです。実に恐ろしいことである。そういう人々には主のさばきが必ずくるのである。その人々に、私たちができることは、絶えず、主を恐れて、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことである。
愛する天の父なる神さま。これほどまでに恐ろしい災害を目にしても悔い改めることをしない人々が哀れに思います。現在でもいろんなところで起こっている戦争、殺人などの中にいる人々が自分の罪を悔い改めていくことができますように、真の神を見上げることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
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