top of page
  • hccnichigo

2022年8月29日 ディボーション

エレミヤ書34章

  

『清い者とされた喜び』

 

  時は、バビロン軍によってエルサレムが陥落する前の出来事です。主はエレミヤを通して、ゼデキヤ王は必ず捕らえられ、バビロンに行くことになるが、彼が剣によって死ぬことはないと言われます。さらに、彼は平安のうちに死に、民による埋葬も持たれ、皆、彼の死を悼む、と言われました。しかし52章11節には、彼は目をつぶされ、青銅の足かせにつながれ、死ぬ日まで獄屋に入れておかれた、と書いてありますから、主の言われる「平安のうちに死ぬ」ということばの意味の深さを考えさせられます。

 

 エルサレムの危機が迫る中、ゼデキヤ王は、イスラエルの民全体と契約を結び、彼らに奴隷解放宣言をします。この契約は、主の御名による契約となり、主はこのことを喜ばれました。

 しかし、王はこの契約を守らず、解放した奴隷や女奴隷たちを強制的に連れ戻します。これは、主の御名を汚すものとなりました。

 

 王の心変わりは、主のさばきを招きます。剣と疫病と飢饉が宣言され、ユダの首長たち、エルサレムの首長たち、宦官と祭司と民衆すべては、敵の手、いのちを狙う者たちの手に渡す、と言われました。王の心変わりの理由は、バビロン軍が一度引き揚げたことにあるようですが(21)、主は彼らを再びエルサレムに引き返させ、その時に町々は焼かれ、住む者のいない荒れ果てた地となると預言されました。

 

 偶像に助けを求めた結果、この時代に生きた世代は滅びることとなりました。ゼデキア王は、殺されはしませんでしたが、目をつぶされ、足は青銅の足かせにつながれて、死ぬまで獄屋にいたわけですから、ある意味、極刑であったと思われます。神によるこのようなさばきの理由は、神が清いお方であるためです。神の清さは罪を赦すことができません。必ず、さばきが下されたのです。

 

 このことを思うとき、イエス・キリストによる十字架以降の時代が、どれほどの恵みの時代であるかを思い知らされます。イエスこそ主である、と信じる信仰によって救われ、未だ罪深い者であるのに、神の目からは「清い」とされたとは、なんという恵みでしょうか。

  

 クリスチャンはすでに清いのですが、アダムによる原罪のゆえに、神以外のものに心を奪われてしまう時があります。旧約時代なら、即座にさばきが訪れたことでしょう。しかし恵みの時代に生きる者には、さばきではなく、悔い改めが求められています。たとえそれが、どんなに小さな事であっても、気づいたならすぐに、「神さま、ごめんなさい」、と言って告白するなら、神は罪を赦してくださるのです。

 

「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(ヨハネ第一1:9)

 

 救い主がまだ与えられていなかった時代、罪に対するさばきは死でありました。神の清さ、神の御名を汚す者は、肉体的死はもちろん、霊的にも神から断絶され、滅ぶしかありませんでした。しかし、十字架の贖い以降、肉体的死は未だ訪れますが、霊的死に与ることはなくなりました。また、たとえ肉体は滅びようとも、イエス再臨の時には肉体の復活が約束されていて、さらに、神と共に永遠に生きるようになるのです。


 エレミヤの時代に生きた人たちに思いを馳せ、自らの信仰はもちろん、行動においても吟味し、清い神の子として生きるため、悔い改めの道が備えられていることを、心より感謝いたします。


 

祈り:愛する天のお父さま。清い者とされた恵みに感謝いたします。この福音を多くの人、特に家族に、伝えることができますよう、その道を整え、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

閲覧数:31回

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿を荒廃させてしまったこと、なにより神さまが用意してくださった悔い改めのチャンスを受け取らなかったこと。 「そこで私は、顔を神で

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであった。それは、地上にいる獣と比較することができないほど恐ろしく、最強で、ものすごかったのである。まるで黙示録の中にいるようだ。

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の

bottom of page