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2022年6月22日 デイボーション

  • hccnichigo
  • 2022年6月22日
  • 読了時間: 3分

イザヤ書 53章


十字架の預言


 私の聖書のイザヤ書53章を開いたら、赤い色の鉛筆と黄色のマーカーでびっしりとマークされている。鉛筆でいろいろと書き込まれている。そこは、とても大事な箇所であるということを私自身への学びとしてしるしたのである。できればこの53章は通り越したいところである。イエスさまの十字架のことが赤裸々に述べられていて、とても悲しくなる。でも、私達クリスチャンはどのようなことがあっても、イエスさまの十字架から目をそらしてはいけないのだ。イエスさまが、私たち人類の罪からの救いのために自らを十字架に架かられて死なれた証しだから。そればかりか、イエスさまは、今も父なる神の右の座におられ、私たちのためににとりなしをしてくださっているのである。このことをしっかりと受け止めて、まだイエスさまを知らない多くの人々に語り告げていくことである。


 53章のすべては、イエスさまの福音が書かれている。今回のデイボーションで特に心に響いたのは、4節から6節のみことばであった。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」

 イザヤは、ここで「私たち」ということばを9回も愛唱している。9という数字は完全数である。イザヤは、彼(イエスさま)の死は「私たち」が死に追いやったのだ、ということを強調したかったのだろう。自分自身に語られているようで本当に「ごめんなさい」とひれ伏し、叫びたくなる衝動にかられる。


 だが10節では、父なる神の御心があらわされている。

「しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。」

 イエスさまがご自分のいのちを代償にささげ物としてくださったので、私たちはこの世に生をうけ、末長く子孫を見ることができるようになったのだ。それは、父なる神さまと子なるイエスさまとのかかわりが愛と信頼で結ばれていなければこのことはできなかっただろう。私たちにもあてはまることではないだろうか。愛と信頼関係がなければ、親子や友情でも壊れていくものである。



祈り

愛する天の父なる神さま。あなたの御名をほめたたえます。

イザヤ書53章は旧約の新約とまでいわれて、そのころからイエスさまのことが語られていたこと、すべてがあなたの御心であったことに感謝します。私たちの罪のためにご自身のひとり子をお与えになったほどに世を愛してくださったことに感謝します。この神の愛を知らない多くの人々に伝えていくことができますように、私達を用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 
 
 

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