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2022年6月21日 ディボーション

イザヤ書52章


「主のしもべとエルサレム」


 イザヤ書の前半はユダヤの民の悔い改めを求めながら、裁きの預言が続く。しかし後半の40章から66章までバビロン捕囚の失意の中にいるユダヤの民に希望を与えるメッセージとなる。

 40章の1節は「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。」の語りかけで始まっている。まず慰めだ。この始まりのことばと同じように今度はさらに進んで、この52章の始まりは「目覚めよ、目覚めよ。力をまとえ、シオンよ。」と語りかけている。失意から慰めにそれからまだ見ぬ未来に起こる聖なる都エルサレムの姿を思い、目覚めよと未来の美しい姿を描いています。


 そうして、この救いGood News(良い知らせ=福音)を伝える人の足は美しいと7節にあるのだが、使徒パウロはこのイザヤ52章の箇所からローマへの手紙10章14〜15節で「しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのように信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。」

 イザヤ52章7節「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、何と美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」と シオンに言う人の足は。」

 伝道者の事が述べられている。しかし、ここで引っかかるのは「足」となっている句です。どうして彼らの眼は美しいとか、心が優しいとか言わずに「足」なのか。自分は俗人なので、ここでどうしても美人コンテストの足が美しいなどと思ってしまうのだが、足は皆さん、当然歩くためにあります。平坦な道もありますがどろんこの道、岩だらけの道も歩き、足元は汚れます。伝道の道は道なき道を歩むわけです。思えばイエス様は最後の別れの夕食の時に、愛されている弟子たちの足を洗われましたが、きっと一人一人洗いながら声をかけて、よくこの3年に渡りわたしと一緒に歩んでくれた、ありがとうと言って誉めてあげた、泥だらけの足は美しい足なのです。


 この52章はエルサレムの将来的な姿、終末の姿を見せてくれている。

 6節「それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るようになる。それゆえ、その日彼らは、わたしが『ここにわたしがいる』と告げる者であることを知るようになる。」

 10節「主はすべての国々の目の前に聖なる御腕を現された。地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る。」

 この預言は未だ成就されていないが、終末のエルサレムを語っています。しかし、52:13〜15節で、場面がガラリと変わるのです。この3節はこれから預言されている主イエスの十字架53章の序文に当たります。イザヤは、神の救いを受けた、終末の贖われたエルサレムのビジョンを語ったと思えば、今度はもっと終末前に起ころうとしている主のしもべ、イエスの贖いのビジョンを見ています。この3節は十字架を思いながら読んでみる。

「見よ、わたしのしもべは栄える。彼は高められて上げられ、きわめて高くなる。多くの者があなたを見て驚き恐れたように、その顔だちは損なわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。そのように、彼は多くの国々に血を振りまく。王たちは彼の前で口をつむぐ。彼らが告げられていないことを見、聞いたこともないことを悟るからだ。」

 やがて地の果てのすべての者が私たちの神、主イエスの救いを見るのです。その救いの福音・良き知らせを伝える者達は、たとえこの世の患難な道を通ろうとも、主が足を洗ってくださり美しい足となるのです。


祈り

 ああ 主なるイエス、あなたはすべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。どうか私どもをお遣わせ下さい。一人でも多くの人にグッドニュースを伝えます。あなたが私どもの前を進み、泥だらけの足を洗い、慰めてくださることに感謝いたします。アーメン

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