top of page
  • hccnichigo

2022年6月19日 ディボーション

イザヤ書 50章


従順な弟子


 50章は、イザヤの神への従順な弟子としての働きが示された。


「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。」4節

「神である主は私の耳を開いてくださった。私は逆らわず、うしろに退きもせず、」5節

「打つ者に背中を任せ、ひげを抜く者に頬を任せ、侮辱されても、唾をかけられても、顔を隠さなかった。」6節


 神である主は、イザヤに弟子の舌を与えられた。舌とは、ことばをあらわす働きである。

 その舌によって、疲れた者をことばで励ますことを教えられた。さらに、神である主は、

イザヤの耳を開いてくださった。耳を開く、とは神のみことばを聞くことである。ローマ人への手紙10章17節に「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」と書かれている。聞くことは大切なことであるが、それ以上に、みことばを通して主と人格的な交わりを持つことはもっと重要である。ここでは、神の御声を聞くだけでなく、たとえ苦難に出会った時でも、主を信頼して、喜んで従って行くことであり、又、あと戻りは許されないということである。

 イザヤがこうまでして大胆に神のしもべとして、民に語ることができたのは、主の助けがあると信頼していたからである。神のしもべとして従順につかえてきたからである。

 従順につかえるということを思った時に、やはりイエスさまのことを忘れてはいけないことだろう。パウロは、ピリピ人への手紙2章6節から11節でイエスさまをほめたたえている。


「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が

「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」



祈り

愛する天の父なる神さま。御名を心からほめたたえます。

私たちを朝ごとに呼び覚まし、あなたのみことばを聞き続けることができますように、そして、苦しみの中にいても他者を励ますことができるように導いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

閲覧数:44回

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿を荒廃させてしまったこと、なにより神さまが用意してくださった悔い改めのチャンスを受け取らなかったこと。 「そこで私は、顔を神で

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであった。それは、地上にいる獣と比較することができないほど恐ろしく、最強で、ものすごかったのである。まるで黙示録の中にいるようだ。

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の

bottom of page