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2022年5月8日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年5月8日
  • 読了時間: 2分

イザヤ書 8章


 イザヤ書8章は、7章の続きである。北王国とアラムとの連合軍が南王国を攻めようとしているとき、神はイザヤを通して南王国の王と民に、さばきと希望の預言を与えられた。

 一つ目の神の預言は、「一つの大きな板を取り、その上に普通の文字で、『マへル・シャラル・ハシュ・バズ』と書け。」と言われた。そして、イザヤの子どもにその名をつけよと言われた。この名前の意味することは4節で語られているように、近い将来、アラム(ダマスコ、レツイン)とエフライム(サマリヤ、べカ)の分捕りものがアッシリヤによって速やかに持ち去られるということである。つまり、アッシリヤによって滅ぼされるということで、実際に紀元前734年に滅ぼされたのである。

 二つ目の預言は、「インマヌエル」という表現に示されていて、それは、「神が私たちとともにおられる。」ということが8節から10節に述べられている。預言の解説は、アッシリヤは洪水のようにアラムと北王国それに南王国のユダにもさばきをもたらすと宣告されておられるのである。しかし、われらと共におられる神はわれらを守ってくださるのだという希望もこの預言の中に含まれているということである。

 三つ目の預言は、神は信頼する者を守る岩だが、信頼しない者にはつまずきの石となる。神のことばはまさに両刃の剣である。14節で、「この証しの書を束ねよ。このおしえを わたしの弟子たちのうちで封印せよ。」と述べておられる。この神のことばにたいしてイザヤは17節で、「私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。」と告白している。そして、イザヤは民に対して、死人に尋ねるのではなく、生ける神のみおしえと証しに尋ねなければならないと宣言するのである。

 さばきと希望が語られた8章であったけど、私達クリスチャンはイエス様の十字架の血潮によってさばかれないことをしっかりと受け止めていきたい。



祈り:

 愛する天の父よ、今日もイザヤを通されて語られたみことばをありがとうございました。

 インマヌエル、あなたは、いつも私達と共におられる。何と感謝なことでしょう。私も妨げの石にならないように、信じて希望が与えられる救いの岩になっていくことができますように導いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン 

 
 
 

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