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2022年5月28日 ディボーション

イザヤ書 28章


「尊い生ける石」


 エフライム(北イスラエル)の悪政がさばかれ、サマリアが陥落する預言。

「わざわいだ。エフライムの酔いどれが誇りとする冠、その麗しい飾りのしぼんでゆく花。」(1節)

 なんて美しく、格調のある文体なのだろう。サマリアは丘の上の町で、塔のある城壁で囲まれていたから、”冠”と形容されていたのだと、鍋谷堯爾先生は注釈してくれる。

 さばきを受ける者、ゆるされる者の明暗も鮮やかに活写されている。ギリシア悲劇もシェークスピアも、絶対にイザヤ書をお手本にしたんじゃないかと思うほどに劇的な臨場感だ。

『ツァウにツァウ、ツァウにツァウ、カウにカウ、あっちにゼエル、こっちにゼエル』(10節)

 日本語聖書にもヘブル語の赤ちゃん言葉を残して、イキイキとした表現が伝わってくる。いや実際、酔っ払いがろれつの回らない口で、イザヤにからんだのかもしれない。

 一転、16節。世の力に頼り、悔い改めをしない民に、神である主は「しるし」を示される。

見よ、わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことがない。」

 このみことばは、聖書の中でも相当に重要な「しるし」だ。

 礎=ものごとの土台となる大切な基礎。試みを経た石=神さまがテスト済みの石、岩。尊い要石=永久に盤石な中心となる石、岩。ことばを重ねて確固不動の絶対的な存在を示す石、岩は、来るべきイエス・キリストの姿。イザヤの時代も、今の時代も唯一無二の救い主。

 歴史を見れば、大切な石をイスラエルの民は捨ててしまったけれど、新訳の使徒たちはこの預言の成就を喜びをもって各所で伝えている。私たちの教会の要石もイエスさまだ。

 イエスさまから直々に、岩=ペテロと名付けられたシモンも、ペテロの手紙一2:4〜8で、「イエスさまは尊い生ける石」と表現している。そして「あなた方自身も生ける石として霊の家を築き上げよ」と、一生涯をかけてイエスさまの似姿になるよう促してくれる。

 ただしイエスさまを軽んじたり、みことばに従わなければ、尊い生ける石は「つまずきの石、妨げの岩」になるとも忠告する。

 つくづく思う。神さまの怒りは怖いけれど、イエスさまの十字架の愛は、怒り以上に襟を正してひざまづきたくなる。あがめと畏れに満ちている。すごいなあ。

「信頼する者は慌てふためくことがない。」というみことばを感謝して受け取ります。よそ見をせずにイエスさまに従って歩けますよう、どうか生涯、導いてください。

イエスさまのお名前で祈ります。アーメン



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