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2022年5月20日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年5月20日
  • 読了時間: 3分

イザヤ書 20章


 決してさびれないもの、絶対に奪われないもの、永遠に滅びないもの。

 それは人間の目には見えない。人は、見えないものに対して怖いという気持ちを抱く。だから、見えないものではなく見えるもの(人間が作り出した物や価値観)に頼ることで、不安や恐怖から逃れようとする。しかし、目に見えるものはあてにならない。いつか消えてしまう。それらを信じて誇りにしていた者は、希望を失う。

 

 この20章には、イザヤが裸になり、裸足になって3年間も歩いたことが記されている。主が、そうすることを命じた。なぜだろう。

 すでに北王国を滅ぼしたアッシリア帝国は、エジプトに進軍する途中でアシュドデ(地中海に面した町)に来て戦い、この町を占領した。

 南王国の人々は、自分たちも強国アッシリアに滅ぼされるのではないかと恐れた。だから、勢いよく栄えていたエジプト(クシュ人によって統治されていた)と手を組み、防御体制をとろうという意見が強まっていた。

 しかし主は、イザヤを通して、エジプトの将来の姿を人々に見せつけた。エジプトもクシュも、頼りにはならないぞ、守ってはくれないぞ、お前たちは何もかも失い、裸にされて、このイザヤのように恥ずかしい姿にさらされるぞと。


「人々は、クシュを頼みとし、エジプトを誇りとしていたゆえに、打ちのめされ、また恥を見る。」(5節)


「クシュ」「エジプト」という言葉を、たとえば、「お金」「権力」という言葉に置き換えて読んでみる。「人々は、お金を頼みとし、権力を誇りとしていたゆえに、打ちのめされ、また恥を見る。」

 今この世界で生きている人々の多くが、たぶんほとんどの人間が、目に見えるものだけをあてにし、得意気になって生きている。けれども、人間や、人間が作り出したものは、最終的には何の力も持たない。何の役にも立たない。人が頼り、誇りとし、望みをかけていた「われわれの拠り所がこの始末だ。」(6節抜粋)


 私たちの暮らしの中で、これまで自分たちが信じてきたものはいったい何だったのか、と思うことが繰り返し起こる。安全だ、安心だ、と信じて疑わなかったものが、なんの前兆もなく、ある日突然崩れてしまうことがある。


 少し話がずれてしまうけれど、1970年代、井上陽水さん作詞作曲「夢の中へ」がヒットした。バブル絶頂期にはアイドル歌手がカバーし、”探しものは何ですか〜見つけにくいものですか〜” とリズミカルに踊りながら歌った。

 その歌の中に、こんな歌詞がある。


”休む事も許されず 笑う事は止められて はいつくばって はいつくばって いったい何を探しているのか” 

”探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で”


 若い頃は何も感じなかったこの歌詞が、年齢を重ねた今の自分の心に刺さる。何かを探し求めて一生懸命に生きてきた人間が、ある時ふと、探すのをやめた時、本当に価値あるものを見つける。私は見つけた。


”まだまだ探す気ですか〜 それより僕と踊りませんか〜”


 無駄な抵抗はやめて、それより神様と踊りませんか。

 私たちの教会には心強いリーダー、元ダンサーの牧師もいますしね。うふふ。


 愛する天のお父様。イザヤが裸になってまで伝えたかったメッセージを受け取りました。私たちは、あなたの存在に心から感謝します。神様、ありがとう!

 主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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