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2022年3月1日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年3月1日
  • 読了時間: 4分

箴言 15章


「神の義と愛」


 あなたはいつもそうなんだからと指摘され、売り言葉に買い言葉、お前だってとやり返す。自分の長所も短所も全て良く知っている妻からの激しいことばは痛く、怒りをあおる。さらに追い討ち あなた、娘婿を見ならいなさい。娘の言うことを何でもハイと聴いているわ。それは俺だって同じようにしているさ。でも彼は喜んでするの、そこがあなたと違うのよ! ああ確かにそうだ。これには一本やられた。

 箴言1節「柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。」箴言のことばは未熟な自分の心に響く。今度は続く15節のことばにもはっとさせられ、思わず日本の友人の青白い顔色を思い起こされる。

喜んでいる心は、顔色を良くする。心の痛みの中には、打ちひしがれた霊がある。

 どこにでも教会を様々な理由で離れてしまった人達がいる。特に彼は10数年前に自分からよく考えずに、かえって周りの勢いのせいで洗礼を受けてしまったと言う。それでも、その頃はそれなりに聖書の学びを一生懸命にしたが、この10年間は逆に教会からも離れ、聖書を読むことも無くなったと告白する。今では自分は闇の中にいて、このような自分は本当に救われているのかどうか判らないと言うのだ。彼の顔はいつも青白く、常に何かを心配している。腰の具合が悪かったり、仕事がキツかったり、心を通わせることのできる友人が周りに居ない。身も心も魂も疲れ、打ちひしがれた霊がある。

 なんとか彼に救いを説明しようと父なる神、子なる神、聖霊なる神の救いを家族の例にして説明を試みた。例えば家族の中で悪い道に走った息子がいたとする、彼をなんとか引き戻そうと父親は威厳を持って息子を諭すし、母は慈愛を持って息子に接する、兄弟は同情の目で彼を包む。これは父なる神が威厳を持って諭す事、子なる神が全てを犠牲にして献げる慈愛、そして彼と同じ立場におられる、兄弟の聖霊なる神の助けがあなたに向かって働いていると説明した。自分の努力とは関係なく、神の救いの手は常にある。でも多くの人は、こんな自分を救ってくれるわけがないと自分の方から手放してしまう。こんな傷物の自分も愛してくれていること。この主の恵みを知って喜ぶならば心が躍り、顔色が良くなるのだが・・・。

 しかし父なる神は義のお方でもある。ただ単に優しく愛してくださると思ってしまうが決して良い事ばかりではなく、神の愛は同時に神の義と共に来ることも知らなければならない。

 10節「道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。

 喜びを受けるか、死を受けるか、選ぶのは我々の自由意思なのだ。

 23節「適切な返事をすることは、その人の喜び。時宜にかなったことばは、なんと麗しいことか。

 聖書全体の流れを見ると、旧約聖書には神の義が強く示されている。地上に悪が増大しノアの洪水・神の義が下された。イスラエル民族の偶像礼拝の結果、エジプトでの奴隷生活、荒野での30年間、それから後のバビロン捕囚など神の義が示されているのと同時に神の愛、ノアの救い、アブラハム契約での選ばれた民への約束、エジプトからの救いなど神の愛、救い手も示されている。

 順序としてまず神の義が示され、神の愛が救いを示す。神は義であり、愛である。新約聖書でも神の義は主イエスの十字架をもってこの世に示され、信じる者への救い、神の恵みの愛である助け主を聖霊として送ってくださっている愛が神の義と共にくだされた。

 神の義が先にあり、神の愛が注がれる。これが神の救いの順番なのだと思う。

 教会を離れてしまうと一緒に声を張り上げて賛美をする喜びを忘れてしまう。教会を離れると心の窓を開けてみことばを聞いて、心を震わせながらの感動を忘れてしまう。

 オンラインの礼拝がこれからの主流になるのかもしれないが、人と顔合わせる教会の集まりの中で交わりあいながら、いかに自分の謙虚さが足りないことを経験する。確かにオンラインでは人との交わり合うことも無く、自分のペースで実に気楽。でもこれは自己満足の世界に浸ってしまう危険性がある。いつの間にか神の導きに従う自分から、神を導いてしまう自分になってゆくのに気がつかなくなってしまう。自分の欠点を気づかせてくれる事も、人間の集まる教会の重要な理由なのかもしれない。そうか自分も妻の指摘を素直に聞こう。叱責を憎む者は死に至ってしまうのだから。


祈り

 教会を離れてしまっている自分の友人 神の救いの手は伸ばされています、無くなる事はありません。聖書のみことばを読みなおして救われていることを確信できますように、信仰を授けられますように、喜びによって顔色が明るくなりますように。

 30節「目の光は心を喜ばせ、良い知らせは人を健やかにする。」どうか良い知らせ・福音で満たされますように。


 
 
 

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