top of page
  • hccnichigo

2020年8月14日ディボーション

更新日:2020年10月4日

大学生グループ

イザヤ書55章8、9節

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。-主のことば- 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」


みんなの分かち合い

 メディアで報道されることと、ここにある御言葉とはとことん違うと思う。この社会は自分の思いを貫き通す社会(それは考え方においても、働き方においても)。

 幼い頃、ワイキキに住んでいた。日本に帰りたい自分がいたが、なぜかハワイにずっと残って今がある。今はハワイにいて、本当に良かったと思う。まさに神の思いは人の思いよりも高い。

 人生の節目を思い返すと、大変なこともあったが、今思うとあの出来事があったら今があることに気づく。今をどう受け入れ生きるか…ということが、この御言葉にもつながっていると思う。

 まさにこの聖句の通りである。神の思い、神の道は人知を超えて高い。本来だったら、このような教会の交わりに自分は参加していないだろう。教会にも行っていないだろう。今でもふと思う。自分はなぜクリスチャンの人たち、そして神様と出会えたのだろう、と。想像以上のこの人生を通して、自分は特別な安心感を得ている。

 ハワイに導かれてきたことが、実に大きい。最初は大変だったが、ここに来たのがきっかけでクリスチャンになったことは間違いない。思ってもいなかった人生を歩めていることに感謝したい。

お祈り

天のお父様、

あなたの御言葉は真実です。あなたの御思い、その道とは、なんと人知を超えて高いのでしょう。私たちの理解を超えるあなたの計画の中を、今日も生かされている恵みを感謝します。

これからも、あなたの御思い、祝福の道を歩み続けることができますように。アーメン。

閲覧数:14回

最新記事

すべて表示

2022年7月10日 デイボーション

ヨハネの福音書 5章 ベテスダの池で病人に声をかけられるイエス。「良くなりたいか。」6節 (一部抜粋) イエスさまが、エルサレムに上ってこられた時にベテスダと呼ばれる癒しの池で38年間も病に苦しんできた人を癒やした時の、イエスさまと病んでいる人との会話に考えさせられた。 「イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」病人は答えた。「主

2022年7月5日 ディボーション

イザヤ書66章 『終末での出来事』 イザヤ書の最後となったこの66章を読み比べると、聖書全体の締めくくりの66巻目である黙示録の臭いがする。 22節「わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、ー主のことばー あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。」 ここには黙示録と同じように新天新地が示されていますが、ここでの対象は黙示録のように全ての人ではなく、限ら

2022年7月4日 ディボーション

イザヤ書65章 『わたしはここだ』 「わたしを尋ねなかった者たちに、わたしは尋ね求められ、わたしを探さなかった者たちに、わたしは見出された。わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ』と言った。」(1) 1節にある「わたしを尋ねなかった者たち」「わたしを探さなかった者たち」と「わたしの名を呼び求めなかった国民」とは、異邦人のことである。イスラエルの民が神に逆らい続

bottom of page