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2020年12月12日ディボーション

  • hccnichigo
  • 2020年12月12日
  • 読了時間: 2分

ヘブル人への手紙 3章

『マンネリにご用心』


学び:


 3章は“よく考えなさい”という出だしで始まる。なにを考える? イエスさまはどんなお方なのか、なにを行ったのかを考える。イエスさまをよ~く考えた上で、イエスさまにあって、確信と、希望による誇りにあずかろうと説く。

3:7と15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」と、2回も繰り返す。

 出エジプトで、主に逆らったり、御声を聞かなかった先祖の不安と傲慢を繰り返してはならないと。自分はもう知っているとマンネリ化し、今日与えられる新しい御声をスルーしてはならないと、旧約を用いながら端的に語る。

 この手紙の著者の名はわからないけれど、“イエスはキリストである”ことの相当な研究者だ。私たちの信仰を問うとか、伝道をしなさいとか言うよりまず、イエス自身を知ってほしいとの思いが強い。

 学究肌らしく、硬い筆致で“御子”語りをする。書生さんのように、詰襟で、正座して。イエスさまを永遠の大祭司として、1ミリの隙もないほどに高く高く仰ぎ崇拝している。なんかその、青い感じがいいなあ~。続きが楽しみ!


祈り:


 イエスさま、あなたをイエスさまと当たり前のように呼びかけているけれど、私はどれだけイエスさまを知っているのでしょうか?

 かかとの角質のように、いつのまにか心も鈍化している時があるような気がします。“主の祈り”をマンネリで唱えている自分にぞっとします。

 愛される喜びを日々新しく感じられますように、十字架の重さを日々深められる成長が与えられますように。シミやシワが増えても、神さまを求める心だけは真っさらでいられますように。

 イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン

 
 
 

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