top of page
  • hccnichigo

2020年12月10日ディボーション

新約聖書:へブル人への手紙 1章 


「イエスは、神の本質」

 今日から、久しぶりに新約聖書に戻ってきた感じがする。へブル人への手紙は、旧約聖書に深く精通したユダヤ人クリスチャンに向けて書かれたものである。旧約聖書の特に、モーセ五書(トーラー)からの引用が多いのが特徴。著者は不明。 

 旧約聖書に精通していない者にとっては、難解と感じる部分もあるが、旧約聖書の各当箇所にあたりながら読んでいくと、目が開かれるように分かるようになる。

 このユーチューブの解説が、とても分かりやすくまとめているので、ぜひ参考にしたい。https://www.youtube.com/watch?v=ZKlQXU6_OYs


この1章1節には、とても重要なことが記されている。かつて(旧約時代)には、神は預言者を通して語っていた。しかし、終わりの時(新約時代以降)は、御子を通して語っているという。

 現代には、広義においては、「神のことばを預かる者」ということにおいて、説教者は預言者と言うこともできる。しかし、狭義においては、イザヤやエレミヤのように、「主は言われる」と述べて神のことばを直接語る人はいない。(1コリント12章から14章に言及されている預言の賜物については、ここで触れません)。

 ここでは、神は御子イエスを通して語っているというのだ。その意味は、私たちが聖書に対するとき、特に旧約聖書は、イエスがキリストであることを語っているということだ。

 そして、このイエスこそが、創造主であり、神の栄光の輝きであり、神の本質の現れなのだと、つまりイエスこそ神の御子であることを強調している。

 さらに5節からは、御子は天使に勝るお方であることを語られている。これは、シナイ山でモーセに十戒の石版を渡したのが天使だと言われているので、その石版に記されている文字そのものを記した御子は、天使よりももっと優れたお方だということになる、という論法だ。

 このへブル書の始まりから最後まで一貫しているのは、イエスがキリストであることの確かさである。この書は、私たちがイエス・キリストの本質を知るために書かれている。そのことを考えると、この先2章からの内容が、とても楽しみになってくる。


語られたこと:


 イエスがキリストであることは、聖書に記されていることであり、聖書に根拠があることを改めて確認した。特に旧約聖書からイエス・キリストの本質を見ていくと、より深く、イエスを理解することが出来る。なんだかワクワクするような気持ちになった。


祈り:

 天の父なる神さま。どうか、このへブル書を通して、イエスさまのことをさらに深く知ることが出来ますように、聖霊がどうぞ導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。 

閲覧数:33回

最新記事

すべて表示

2023年7月23日 へブル人への手紙13章

「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」15節(抜粋) へブル人への手紙の結びの13章で示されたことは15節の「賛美のいけにえ」だった。私たちはイエスの血潮の贖いによって動物や穀物などのいけにえをささげなくても済むようになった。私たちが神にささげるいけにえは心からの賛美である。 賛美とは、教会だけで歌うことではない。賛美とは礼拝で

2023年7月22日 へブル人への手紙 12章

4節~6節「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。 そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。 「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。 主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、 受け入れるすべての子に、 むちを加えられるのだから。」」 私は以前、主に叱られると(別の訳では「懲らしめ」)気落ち

2023年7月21日 へブル人への手紙11章

『信仰とは?』 「さて、信仰とは、望んでいる事柄を確認し、まだ見ていない事実を確認することである。」(1節)と信仰の定義がまず示される。そして旧約聖書に登場する信仰者たちの具体例が挙げられていますが、この代表的な信仰者たちは皆、神様の約束を信頼した人々です。「昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された」(2節)。 でも、神の存在を認めるだけでは信仰全体の半分までしか進んでいません。もう半分は6節の後

bottom of page