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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「キリストの奥義」


 パウロは、この3章でも奥義について語っています。


 奥義は、旧約時代には知らされていませんでした。しかし、パウロは啓示によって知らされました。啓示とは、直接神から示されたということです。奥義については、エペソ人への手紙1章9節~10節で語られていますが、3章6節でも語られています。


「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」3:6


 ここでいう「ともに」とは、ユダヤ人と異邦人のことを言っています。この「ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者」としてくださったのがイエス様です。「キリストの奥義」は他の弟子たちにも示されたそうですが、正しく理解したのはパウロだけだったそうです。そして、パウロは、神の恵みの賜物により、この福音に仕える者になりました。つまり、「キリストの奥義」を伝える者になったのです。だが、その道は大変なことだったと思います。自分の身の危険を冒してまでも語らんとするパウロの伝道の心は、やはり、イエス様の十字架の愛から伝わってくるものではないかということが示されました。


 パウロの祈りは、

「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。」16節

「信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。」17節(抜粋)

 さらにキリストの愛の、広さ、長さ、高さ、深さ、この愛を知ることができるなら、人は必ず変えられると言っています。今の私たちには「キリストの奥義」が知らされています。だから異邦人である私たちもイエス・キリストに在って、神の子とされ、さらに永遠のいのちが約策されているのです。この神の無償の愛に心から感謝します。



 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。

異邦人である私たちも共同の相続人としてくださり、又、同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者としてくださったことを心から感謝します。キリストの奥義を教会内や教会外の人々にも伝えることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


 

 エペソ書は、恵みに満ちた書簡です。

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(8、9)


 この御言葉は、まさに福音(良い知らせ)です。「どうしたら救われますか?」この問いは人類にとって最も根源的な問いかけです。もしそこに人間の業が救いの根拠とされるなら、それは福音とは言えません。逆に「悪いニュース」となってしまいます。

 なぜなら救いの根拠が人間の業に置かれてしまったら、できる人とできない人が必ずいるからです。そして人間は自分の業で自分を救うことはできないのです。救いの根拠は人間の「行いによるのでない」のです。


 すべての人を救うために、神は「恵みのゆえに、信仰によって救われる」ことにしたのです。恵みとは、神が人を救うということです。その救いを受け入れることが信仰ということです。

 救いは、神からの「賜物」(ギフト)なのです。そのギフトを感謝を持って受け入れることが信じるということなのです。

 

 さらに「敵意は十字架によって滅ぼされた。」(16)と記されているように、恵みのゆえに信仰によって救われた者たちは、敵意が滅ぼされ一致するように導かれるのです。この世は分断に満ちています。本来一つであるはずの夫婦、親子、家族、そしてこの社会が、分断し争いお互いに傷つけ合っています。

 しかし聖書には「キリストこそ私たちの平和です。」(14)と記されています。イエスを信じた者たちに、このキリストの平和が与えられるのです。


 私たちは、恵みにより信仰によって救われた者として、このイエス・キリストの平和を宣べ伝え、また証していきたいと心から願います。 


天の父なる神さま

 私たちを恵みによって信じることによって救ってくださったことを感謝します。この恵みに感謝しつつ、キリストの平和をこの地に実現するために、私たちを用いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 

『教会はキリストのからだ』


 第一章の初めからパウロは神の奥義を示しています。9〜10節「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。


 全てをキリストにあって一つに集めることが奥義であって、このキリストにあってというみことばが、一章では、8回も使われていますので、これが鍵ことばと思います。キリストにあって、忠実でありなさい、私たちは祈り、感謝し、心の目がはっきり見えるようになり、神の力を知り、御国を継ぐ者となり、祝福を受け、キリストにあって、私たちの背きの罪の赦しを受けています。すべてキリストにあって In Christであります。


 私たち人間は、父なる神との和解を求め、神と共に住むことを、自覚しているかどうかは別として、父のもとに戻りたいと知らずに願っているのです。それはすべての悲劇は神に背を向けたことから始まったからです。背きのために、私たちは死に向かうことになってしまいました。ですから父のもとに戻りたいのですが、聖なる父は、罪に染まった私たちと一緒になることができないのです。ですから、ご自分の御子をこの世に送ってくださいました。主イエスは、天では神であり、地上では人の子となってくださったので天と地の架け橋になることができるのです。私たち人間、罪人は、地上では人の子であるイエスを見て理解し、習い、愛することができる存在となってくださいました。父なる神は、私たちがそのままの汚れた存在では受け入れることができませんが、御子イエスを仲介者として、御子を愛する者たちを、御子を通じて和解することができるようにしてくださったのです。


 ですから、御子イエスにあって、神と人とが愛をもって近づき、神は神の子としてのキリストを愛し、人は人の子としてのイエスをあいすることで結び合うことができるようになりました。それはキリストに在って、はじめて可能となったのです。


7節「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」

 

 ここにあるように確かに私たちは、神の子羊イエスの流された、十字架の血潮によって浄めらて、神の赦し、赦免を受ける者となったのです。


 今年初めに大統領命令で、数々の者たちにパードンが与えられました。彼らの罪が浄められたわけではありませんが、罪に対する罰則を赦されているのです。大統領にできる恩赦は、限られた一部の人にしか、適応しませんが、キリストは、すべての人間に恩赦を与えることができる方となられました。


祈り

 十字架のうえで、私たちのために血潮を流された主イエスに感謝致します。私たちが神の子として、御国を受け継ぐことそして神の栄光をほめたたえることができるようになりました。 アーメン 

文:森 宗孝


 
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