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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 「あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」(10節)


 時として自分の信仰が「これで足りているのか」と不安になったり、「もっと何かをしないと神様に受け入れてもらえないのでは?」と感じることがあります。 教会や社会の中にも「こうしなければ」「これを守らなければ」と、行動や規則の型にはめようとしてしまうことがあります。


 しかしパウロはこのコロサイの教会に向かって、はっきりと語ります。


「.....私たちのすべての背きを赦し、」13節抜粋


「私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。」14節


 キリストにあって、すでにあなたがたは満たされているのです。あなたの救いも、希望も、赦しも、キリストによって完成しているのだと。


 十字架の上で、イエス様は私たちの「罪の借用書」をすべて取り消し、完全に赦してくださいました。それなのに、私たちは時に「行い」によって自分を飾ろうとかよく見せようとしてしまいがちです。

 「もっと良いクリスチャンにならなきゃ」と焦る心や、人から認められたいという思いが、 いつの間にか信仰を「人間のルール」で縛ってしまうことがあります。


 パウロは8節で「あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。」と、語りました。


 だまされてはいけないし、キリストこそがすべてであるということ、そして私たちはすでにキリストにあって新しくされ、関牧師が以前メッセージで語られた言葉をかりますと天の国籍を与えられているということです。 律法や人間のルールではなく、キリストとの愛の関係の中で生きることこそがとても大事なことだと思います。


 愛する天のお父さま

  あなたが御子イエス・キリストを通して私たちに与えてくださった救いの恵みに心から感謝します。自分の努力や行いで、あなたの愛を得ようとしてしまう弱さを赦してください。

 イエス様の十字架は、私の罪も至らないところもすべて背負い、取り消してくださった完全な恵みです。どうか惑わされることなく、あなたの愛の中を歩めますように。

 人間の教えや見せかけの信仰ではなく、真実の心であなたに繋がっていられますように。私の心を整えて、あなたの愛と真理に生きる者としてください。


 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

 この手紙は、パウロが、現在のトルコの南西部にあるコロサイという小さな町の教会に向けて書いた手紙です。この教会は、エパフラスという人の働きによってうまれましたが、その後様々な誤った教えが入り込み、パウロに助けを求めたようです。


 パウロは、コロサイの教会を高く評価し、コロサイの教会が愛に溢れた教会であることを感謝します(4節)。更に、彼らの教会は、5節にあるように愛は愛でも、天にたくわえられてある望みに基づく愛、言い換えれば福音に基づく愛に溢れているという。その福音は、エパフラスが伝えたものでした(7節)。


 パウロは、霊的な知恵と理解力によって、神の御心についての知識に満たされますように、と続けて祈り求めます。福音の深さをいよいよ理解し、いよいよ豊かに実を結ぶように、そして、それは、祈りと、みことばと、そして自分自身あるいは隣人が持つ課題との対話の中で、忍耐、寛容、そして喜びの営みの中で見いだされます (9節)。


 13節では、パウロは、福音そのものを明確にしようとします。福音は、あらゆる暗闇の力からの救いを語り、更に、御子の恵みの支配に移されていることを語っています。


 私たちの確信は、キリストは「見えない神のかたち」(15節)ですが、イエスは、単に神を指し示す偉大な教師でも、神に劣る天使のような存在でもなく、イエスは、何一つ欠けたところがない完全な神です(19節)。さらにキリストは万物の造り主である。つまり、キリストは創造の初めであり、創造の終わりであり、造られたものすべてを支える力であり、キリストは教会のかしらであると主張しています(18節)。


 このキリストへの成熟へと向かわせることが、自分の務めであり、福音に仕えるしもべの責任である、とパウロは語ります。パウロは、キリストの力によって労苦しながら奮闘しています(29節)。


主の祈り:愛する天の父なる神さま、今日の御言葉を感謝します。主イエスキリストの御名によって感謝して祈ります。 アーメン


 

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」6節


「そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」7節


 6節のみことばを読むたびに、以前は自分がどれだけ全く逆なことをしていたかが思い出されます。何かにつまずいた時にいつまでも思い煩い、何とか自分で解決しょうといろいろと錯誤したりしたことが多々ありました。そして、だめになった時に初めて祈るというとんでもないクルスチャンの信仰でした。今もまだ完全とは言えないけれど、以前よりは感謝をもって祈り願うことができるようになれたことに心から主に感謝です。確かに、感謝を持って祈り願った後は心の中に平安があります。不思議とその平安がつまずきから、思い煩いから守ってくださいます。


 パウロは、12節で、貧しいこと、富むこと、満ち足りること、飢えること、乏しいことのありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ていると語っています。パウロの境遇に対処する秘訣は、神が彼を強くしてくださるからです。


「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」13節


 パウロの境遇の中で、私は飢えることに目が留まりました。私も飢えるということを経験したことがありました。学生の頃に家賃を払ったら財布の中にはいくらも残っていませんでした。かろうじて、食パンだけ買うことができました。後は、大家さんの裏庭になっているマンゴーをいただいて、それとパンで飢えをしのいだことがありました。パウロさんのような境遇にまでは至らなかったけれども、しかし私はその時に、パンとマンゴだけの境遇の中ではありましたが、誰にでもいいから感謝の気持ちを伝えたい気持ちで満ち溢れていたことを思いだします。


 パウロはピリピの人たちへの贈り物に感謝をしています。しかし、彼は17節で、「私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に加えられていく実なのです。」とてもすばらしい発想だと思いました。

「霊的な口座に加えられていく実」とは、与えた人こそ、豊かな霊的祝福をうけると言われています。私たちも人に贈り物をするときには、私たちの霊的な口座に加えられていく実になるような与え方をしたいと思わされます。



 天の父なる神さま。今日の御言葉を心から感謝します。

感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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