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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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  • hccnichigo
  • 2025年12月28日

 イザヤ書18章はクシュの国への宣告が述べられています。

当時のクシュというのは現在のエチオビアよりももっと広範囲で、現在のスーダンやソマリヤを含む地域だったと言われています。クシュの幾多の川とはナイル川の支流のことで、そこは「羽こおろぎの国」と呼ばれていたそうです。エチオピアは非常に蒸し暑く、羽こおろぎが多いことで有名です。


 余談になりましたが、本題に入りますと、クシュから南王国に使いが来て、自分たちと同盟を結んでアッシリヤに対抗しょうと誘ってきたことが暗示されています。イザヤは当時のヒゼキヤ王から相談を受け、この予言を語りました。


 この使者に、「自分の国に帰れ。どんなにクシュが恐れられている民であっても、力の強い、踏みにじる国であっても、自分たちは神に頼ると、世界のすべての者に宣言するのです。イザヤがそういう発言をすることができたのはすべて神のことばです。


「わたしは静まり、わたしのところから眺める。」4節(抜粋)


 そして、主が働かれた結果が5節以降で述べられています。

それは、ぶどうの枝の剪定のたとえです。農夫は熟した良いぶどうができるように、実を結ばない枝を切り取ってしまうのです。そして、切り取った枝は、山に住む猛禽の夏の餌として、野に住む野獣の冬の餌として与えられるということです。つまり、これまで静まってながめられておられた主が、刈り込みをなさる時があるということなのです。


 人間がどんなに騒いでも、神にとっては全く動じることはないということです。神様は圧倒的な力を持っておられるかただからです。神にすべてを委ね、神の時を待つことが勝利と平安を得ることができるということです。


 アッシリヤは神の御手によって滅ぼされます。その時にはクシュも、「万軍の主の名のある所⦅エルサレム⦆に贈り物を運んでくるようになるのだ、とイザヤは大胆に預言するのです。すべては、神のあわれみの救いのみわざによるのです。


 

 天の父なる神様。御名をほめたたえます。クリスマスの時には、多くの人々が贈り物を捧げたり、与えられたりします。しかし、私たちがあなたに捧げるものは、物ではなく私たち自身の砕かれた悔いた心です。その為にも、あなたにすべてを委ねて、あなたの御言葉に従っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
  • hccnichigo
  • 2025年12月27日

『主の御元に戻ろう』


 私たちは「アーメン」というアラム語を良く教会で言う。「アバ」父、という言葉も聖書の中にある。両方ともアラム語で、主なるイエス様もアラム語を話された。


 ダマスコは古代アラム王国の首都、そして現代シリアの首都のダマスカスである。


 17章では、ダマスコと、北イスラエル(エフライム)への裁きを予言する章で、ダマスコが廃墟となること、そしてアッシリアの進行によって両者の権威が失われることを告げ、最終的には神の民が残され、神の信頼の重要性を解いている。


イザヤ書17:1-7 SKY17

『ダマスコについての宣告。「見よ。ダマスコは取り去られて都でなくなり、瓦礫の山となる。アロエルの町々は捨てられて家畜の群れのものとなり、群れはそこに伏して、それを脅かす者はいなくなる。エフライムは要塞を失い、ダマスコは王国を失う。アラムの残った者はイスラエルの子らの栄光のようになる。──万軍の主のことば。 その日、ヤコブの栄光は衰え、その肥えた肉は痩せ細る。刈り入れ人が立ち穂を集めて、その腕に穂を刈り入れるときのようになる。レファイムの谷で落ち穂を拾うときのように。オリーブを打ち落とすときのように、取り残しの実が中に残される。こずえには二つ三つの熟れた実が、実りの多い枝には四つ五つが残される。──イスラエルの神、主のことば。」 その日、人は自分を造った方に目を留め、その目はイスラエルの聖なる方を見る。』


 キャンドルライト・サービスで、私たちを造られた神様だけが、私たち一人一人の本当の価値をわかっている、と教えられた。誰がなんと言おうと、その創造主が、「私の目にあなたは高価で尊い。私の最高傑作品」だと言って下さる。


アバ父よ、

弱いこの者を「価値ある者」と言って頂き感謝します。父を忘れそうになる時もあるのに、いつも御側に引き寄せて下さりありがとうございます。いつも父の御元に戻れるよう日々導いて下さい。主イエス・キリストの名により祈ります。アーメン

文: マッカーター政子



 
  • hccnichigo
  • 2025年12月26日

 神は人間の悪を裁かれるけれども、罪びとが滅びるのを悲しみ、神に立ち返って祝福を得ることを切に望んでおられること、それは聖書全体に示されていることですが、この章でも学びました。「主は、、、、、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」ペテロII を思い起こさせられます。 


 この16章も、先の15章の続きとして、イザヤのモアブに対する宣告です。


 アッシリアの攻撃から逃れようとしているモアブに、神は逃げ道として南ユダに助けを求めるようにと勧告されました。さらに、南ユダに対してもモアブを助けるよう、彼らの隠れ家となるよう呼びかけられました。しかしモアブはそれを無視して南と北に逃亡しました。


 そのような憐れみ深い神の勧告を受け入れようとしないモアブにあるのは「高ぶり/高慢/誇り/おごり/自慢」(5節)だけで、自分の力や知恵に拠ってその事態を逃げ切ることができると確信して、神の恵みを拒んだのです。それで神は、モアブが頼りまた誇りとしているもの「干しぶどうの菓子」や「ぶどうの木」は敵によって取り去り、その結果「喜び歌うこと」「大声で叫ぶこと」も取り去られました。悲しみのあまり、「モアブは、モアブ自身のために泣きわめく」(7節)のみで、悔い改めの涙は流さなかったのです。そのようなモアブの不信仰を見て、神は悲しまれました。「わたしのはらわたは、モアブのために、、、、竪琴のようにわななく」(11節)のでした。


 そして神の忍耐と寛容は、「もうむだだ」という、その際限までやってきて、ついに最後の手段を提唱されました。それは「雇人の任期」と同じように、「三年のうちに、モアブの栄光は、そのおびただしい群衆とともに軽んじられ、残りの者もしばらくすれば、力がなくなる。」(14節)という宣告です。今すぐではなく、三年の後にモアブは滅び失せるということです。これは滅びへのカウントダウンということだけでなく、神のモアブに対する憐れみでもあります。即ち、この三年の内に、神の恵みに気が付き、悔い改め、主の前に戻り救いを求めるチャンスを与えられたのです。


 愛する天のお父さま、今日のみことばを感謝します。モアブのように、私たち失敗だらけの、罪深い人間でも、裁いて滅ぼしてしまおうとは思わないで、私たちが悔い改め、救われてほしいと、憐れみをもって、忍耐強く、切に願っておられることを学びました。最高に感謝なことです。アーメン


 
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