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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。」(19)


 伝道者の書の作者は述べる。「見よ。私が良いと見たこと、好ましいこととは、こうだ。神がその人に与えたいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦にあって、良き物を楽しみ、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。」(18)


 富を愛し、富により頼む人生は満たされることがなく、安心を得ることができない、不安定な人生であることが述べられている。一生懸命増やしても、満足することはなく、不運によって失うこともある。人生をそのために費やしても、天国まで持っていくこともできない。きわめつけのみことばは、「しかも、人は一生、闇の中で食事をする。多くの苛立ち、病気、そして激しい怒り。」それが富を求め、頼る人生だというのだ。


 だれでも天に凱旋するまで健康で豊かな人生を生きたいと願う。それが富を得るという目標に繋がっていくのだと思う。どうやって自分の財を増やすかというトピックは多くの人にとって興味のあるところだろう。私も、貯金をうまく増やしている人から話を聞くと、なるほどと実践したくなる。しかし、残念ながら私はその点において長けていないので、余計なことをすると元本割れを起こすので、気を付けなくてはいけない。もし、ちょっと才能があったら、案外のめり込んでやってしまいそうだ。そうなると、一喜一憂の人生に突入しそうだ。


 神様はすべての人に富と財を与え、これを楽しむこと、自分の労苦を喜ぶことができる賜物を与えて下さった。(19) そして、「こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」(20)とある。


 神様は、必要な財を得るための仕事を与えて下さり、その労苦を労苦で終わらさず、喜ぶ力を与えて下さる。時に、仕事が得られないこともあるかもしれない、病に伏すかもしれない。それでも、その日を生きる力を神様は与えて下さる。私の家族も苦しい生活をしていた時があった。でも、なぜか守られてきた。病気で死が頭をよぎったこともあった。でも、その日その日を生かされ、今がある。思ったように守られていないと感じることもあったが、思い返してみたら、私は本当に守られて生きてきている。


 天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。今日のみことばによって明日のことを憂うことなく、今日を感謝していきなさいと教えられました。今日を十分に楽しみ、生きる力を神様は与えて下さいます。明日のことはまた、明日神様が新しい恵みをもって祝福して下さいます。日々神様に信頼し、感謝と喜びをもって生きる者となることができますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 

『三つ撚りの糸』


9節 二人は一人よりもまさっている。二人の苦労には、良い報いがあるからだ。

10節 どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいない独りぼっちの人はかわいそうだ。

11節 また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。

12節 一人なら打ち負かされても、二人なら立ちむかえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。


 「二人は一人よりまさっている」の御言葉はよく結婚式に述べられる聖句だ。だが、夫婦に限らず、家族でも社会でも同じことが言えるだろう。


 私はホテル勤務時代に、まさにこのことを経験した。有能なアシスタントの方と仕事をすると、1+1が、2ではなく3になるという感覚を得た。一人で忙しくて、アシスタントに仕事を教えている暇がなかった。ある時、その人は「今の時間がもったいないのは解る。でも今1時間裂いて仕事を教えてくれたら、この後 何時間あなたの仕事量を、私が手伝うことにより、減らせると思う」と聞かれて、はっとした。この人は敬虔なクリスチャンで、私は未信者だった。彼女の言うことを聞いて正解だった。


 そして気になる12節、「三つ撚りの糸は簡単には切れない」の部分。一人より二人は解りやすい、三つ撚りの糸。三つ撚りの糸は、二人を夫婦とした場合、私と主人そしてイエス様と、個人的に受け取った。今は亡き主人であるが、彼は信仰者であった。私たち夫婦は彼の病と闘う戦友になった。そこには確かにイエス様がいたと、後になってわかった。仕事でも3つ目の糸はイエス様であろうと今になって感じる。アシスタントの方と出会い、「教会に来てみない」と度々誘われていたのに、私は頑なで、その数年後に彼女の家でイエス様と出会った。私、隣人、そしてイエス様である。今では、一人の時でもイエス様と一緒以外、考えられない。


天の愛する父なる神様、

どうか一人でも多くの人がイエス様を知りますように。一人より二人、そして二人よりも最強のイエス様が加わって下さる生活をおくれるよう、日々導いて下さい。イエス様がいないように感じられる時もあります。そういう時は神様助けて下さい。見えなくても、感じられなくてもイエス様は必ず一緒にいて下さると信じます。尊いイエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

文:マッカーター政子


 

「すべてのことには定まった時期があり、

 天の下のすべての営みに時がある。」1節

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」11節(抜粋)


 伝道者の書3章には皆さんもよくご存知の名句がでてきます。

「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」1節

その時はすべて神ご自身の御心次第である。私が、この章で一番心に示されたのは、2節の御言葉である。


「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」2節(抜粋)


 神は、私に子供を与えてくださった。そして、数年後にその子供を私からとりさられた。それもみな神ご自身の御心であったことを受け入れるのに随分と時がかかった。一時はクリスチャンってなんだろうかと自問自答したこともあった。だが、今思えば11節の御言葉に感謝である。


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

 神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終 わりまでを見極めることができない。」11節


 子供が召された時は、COVIDが始まる前だったので、召天式をすることができた。なによりもその子がICUに入った時には何度も訪れることができたことだった。子供の死に向き合ったその時は、ただただ悲しみから抜けきれなかったけど、COVIDの時に示されたことは、神が子供になさったことの時のすばらしさに心から感謝の気持ちでいっぱいになりました。私たちの命はすべて神のもの、私たちにこれから後に起こることは誰も知らない。しかし、はっきりしていることは、私たちの肉体は滅びるが、私たちの霊は永遠に神とともにいきるということです。


 今は召された子供のことを思うとき、イエス様の傍で待っていてくれるわが子に会えるという希望、喜びに満ち溢れることができて感謝です。



 御在天の愛する父なる神さま。あなたの尊い御名を心からほめたたえます。

私たちの身の周りに起こった悲しみ、苦しみなどは、すべてあなたの御計画であること。しかし、その悲しみ、苦しみも時がくれば美しいものへとかえてくださるということを語ってくださって感謝します。私たちが、その御言葉を信じて、とどまり続けていく信仰の持ち主となっていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



 
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