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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『霊を生き返らせます』


 この章のはじまりに「その日」とあります。イザヤ書の他の章からも、その日とは「主の日」救い主が地に来られる日と読んで間違いないようです。主の日には、主を慕う者、正しい道を歩む者は、全き平安(シャローム)のうちに守られる。しかしながら主に逆らう者は火でなめ尽くされると、主の救いと同時に裁きが行われるのが、主の日と理解しています。救いと同時に裁きも下される、神は聖なるお方ですから、この地に神としておいでになられる時、光の神ですから、罪、悪、暗闇は光に照らされることになってしまいます。ですから、この地にまず人としておいでになったのは、私たちが神に背いてしまっている事、罪人であることを理解して、悔い改めるように、福音を通じて世界中の人が主イエスが救い主であることを、信じるようにとの、神の愛の現れでありました。この福音が、すべての国々にそれぞれの国語で伝わりますと、光の神としての再臨の時期が迫ってくるのではないでしょうか。


 その日には、3節「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます」そして10節「悪しき者は、恵みを受けても義を学びません。公正の地にあっても不正を行い、主のご威光を見ようともしません。」この事が起こるのが、きっと千年王国の時代なのでしょう、主イエスが来られて王としてこの世を統治するのですが、この世には、主イエスを支えてすでに永遠の身体を持った信者たちもいれば、生身の人間で、まだ信仰に至っていない者たちも一緒にいる、そのような混合した世である、千年王国の最後に、再びサタンが解き放されて、悪しき者たちも一斉に蜂起して、彼らには最後の審判が下される。


 そのような時に、19節a「あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。」神を信じ、主イエスを信じた者たちで、すでにこの世を去ってしまった者たちも、よみがえることが記されています。復活がここにはっきりと描かれているのです。イザヤは紀元前750年前頃の人ですから、主イエスを幻では見た事と思います。処女が男の子を産み、その名をインマニュアル(神はわれらとともにおられる)と呼ぶと、救い主が現れる預言をしてはいますが、彼自身は主イエスに会ったことはありません、しかし、私たちも未だ経験することのない将来の主の再臨、私たちのよみがえりまで、遠い将来を見ている預言者であります。


祈り

今年の願いは、イザヤ書の聖書の学びを行いたいと思っています。ウェスト・オアフ教会では月に1〜2回水曜日の学びがあり、自分自身が大きな恵みを得ていることに感謝していますが、ぜひHCCでも、また聖書の学びができますように!。ぜひ、主のおしえを喜びとし 昼も夜も、そのおしえを口ずさむ者となりたいです。 アーメン 

文: 森 宗孝


 

その日、人は言う。

「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。

この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」9節


「その日」とは、世の終わりの千年王国のことを言っているそうです。七年間にわたる患難時代が終わり王がエルサレムに着座されます。そして、すべての悪を一掃して、この地上に千年間にわたる神の王国を樹立されるわけです。私たちが待ち望んいる千年王国です。

 

 そして、私たちが待ち望んでいた神、私たちを救ってくださる方、この方こそ、私たちが待ち望んだ真の主です。その名はイエス・キリストです。その主が来てくださいます。実際に目に見える形で、手で触れられる姿でおいでになられるというのです。聖書の中のイエス・キリストしか知らない私たちにとって、とても興奮がみなぎってくる思いがします。


 しかし、主を待ち望むことをしなかった民もいました。祝福をうけそこなった人たちもいました。モアブの人たちは、かつてイスラエルをかくまってイスラエルのためにすばらしいことをしてきました。そのために神からの祝福も受けました。なぜなら、神の選民であるイスラエルを祝福するものは祝福されるからです。その結果モアブは繁栄を極めるようになりましたが、その結果、彼らは高慢になって主を待ち望むことをしなかったのです。そのような人たちには必ず神のさばきが下るのだということも10節で告げています。


主の手がこの山にとどまるとき、モアブはそこで踏みつけられる。藁が汚水の中で踏みつけられるように。」10節


 そのような人たちには必ず神のさばきがくだり、それはわらが肥だめの水の中で踏みつけられるように、踏みつけられることになると告げられています。



 愛する天の父なる神様。私たちに主を待ち望む忍耐と希望を与えてください。そして、終わりの患難時代にあなたの民である私たちを守ってください。私たちは、あなたをあがめ、御名をほめたたえます。いつもあなたに感謝の賛美をささげます。いつの日か、あなたとまみえるようになることを信じて待ち望みます。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 

 24章を読むにあたって、 Logosミニストリーを参考にしました。この章が「イザヤ書の黙示録」とも呼ばれ、特定の時代だけでなく、世界全体、人類全体に向けられた預言として語られていることを知り、その重みをあらためて感じました。


 ちょうどこのディボーションを書く時、日本では震度6の地震があり、ハワイではキラウエア火山が、これまでにない高さで三か所から同時に噴火したというニュースが報道されました。 さらに、私の住んでいる地域でも山火事が起こり、延焼が止まらず鎮火のめどが立っていません。神奈川でも山火事が起きていると聞き、自然が各地で大きく動いていることを強く感じさせられます。


 そのような中で19節の「地は割れに割れ、地は破れに破れ、地は揺れに揺れる。」という御言葉が、現実と重なってしまいました。


 1節から16節にわたり、地が荒れ、人々の喜びが消え、歌声が途絶えていく様子が描かれています。これは災害の記録ではなく、神さまを見失った世界の姿なのかと思わされます。


 私自身も知らず知らずのうちに目が恐れや不安に向き、心が落ち着かなくなることがあります。それは、揺れる現実ばかりを見て、そのすべての上に立っておられる主を見失っているのかもしれません。


 しかし、24章は揺れと裁きで終わるのではなく、最後の23節に「月は辱めを受け、太陽の恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムの王となり、栄光がその長老たちの前にあるからである。」と希望が示されています。


 世界がどれほど揺れても、主の王座は揺らがないという事実に安心を覚え、心から感謝します。


愛する天のお父さま

 揺れる時代の中で、私の目がもう一度、王である主に向けられますように。あなたの平安の中で、今日も歩ませてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
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