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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「わがたましいよ 主をほめたたえよ」


 作者自身が自分に鼓舞して賛美を促すことばで始まるこの賛美は、私たちの教会でもよく賛美する賛美曲、「主はよいお方」を思い出させる。


 作者であるダビデは、日々その命だって危うい時代に生き、それに加えて、国の問題、家族の問題、私など比べようのないほど不安定な日々を過ごし、問題のない日などなかったのではないかと思う。それこそ、今日を無事に過ごせてありがとうございますという日々ではなかっただろうか。


 その彼が、自分の心を奮い立たせ、賛美を捧げている。神様が自分にして下さった良いことや神様のご性質を思い出し、それまで神様はその愛によって赦し、恵み、関わって下さっていたことを思い起こしている。彼が感情によって賛美しているのではなく、あえて賛美することを選んでいるのだと伝わってくる。それは、神様は私たちが賛美したい気分のときだけ賛美に値されるお方ではなく、いつでも賛美を捧げるのにふさわしいお方であるからだ。


 一方、自分自身のためにも賛美を捧げることを選ぶということもあると思う。神様のご性質を賛美によって宣言することで、決して離れずにいて下さる愛の神様の御手の中に、自分が生かされていることを再確認する。人の愛は欠けがあるが、神様の愛、そしてご計画は完全だ。問題やストレスを抱えていたとしても、その神様があえてその状況に自分の身を置くことをお許しになっているのだからと思うと、ただ問題としか思えなかったものの中に、何かしらの意味があることを思う。


天のお父様、あなたはどんな時も私たちの賛美を受けるのにふさわしいお方です。それでも、気分にまどわされ、賛美が難しい時があります。どんな状況に置かれても、ダビデのようにあなたに目を向け、あなたのすばらしさを思いめぐらすことができますように。あなたは真実なお方。今までどれほどの恵みをもって、私と共に歩んで下さったことでしょう。あなたは完全な愛をもって、私を赦し、癒し、導いて下さっています。これからもずっと、永遠にあなたの愛は変わりません。そのあなたの御手に今も導かれていることを思い、恵みの中に留まり続けることができますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。


主はよいお方


 

「¹主よ 私の祈りを聞いてください。私の叫びが あなたに届きますように。²私の苦しみのときに 御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに すぐに私に答えてください。³私の日は 煙の中に尽き果て 私の骨は炉のように燃えているのです。⁴私の心は 青菜のように打たれて しおれ パンを食べることさえ忘れました。⁵私の嘆きの声で 私の骨は肉に溶けてしまいしました。⁶私はまるで荒野のみみずく 廃墟のふくろうのようです。⁷私は眠ることもできず 屋根の上の はぐれた鳥のようになりました。⁸敵は絶えず私をそしり 嘲る者は私を名指しにして毒づきます。⁹まことに 私は灰をパンのように食べ 飲み物に涙を混ぜ合わせました。¹⁰それはあなたが 憤りと怒りのゆえに 私を持ち上げ 私を投げ捨てられたからです。¹¹私の日は 伸びていく夕影のようです。私は 青菜のようにしおれています。¹²しかし 主よ あなたはとこしえに御座に着いておられます。あなたの呼び名は世々に及びます。¹³あなたは立ち上がり シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来ました。¹⁴まことに あなたのしもべたちはシオンの石を喜び シオンのちりをいとおしみます。¹⁵こうして 国々は主の御名を 地のすべての王は あなたの栄光を恐れます。¹⁶なぜなら 主はシオンを建て直し その栄光のうちに現れ ¹⁷窮した者の祈りを顧み 彼らの祈りをないがしろにされないからです。¹⁸このことが 後の世代のために書き記され 新しく造られる民が主を賛美しますように。¹⁹主は その聖なるいと高き所から見下ろし 天から地の上に目を注がれました。²⁰捕らわれ人のうめきを聞き 死に定められた者たちを解き放つために。²¹人々が 主の御名をシオンで 主の誉れをエルサレムで語り告げるために。²²諸国の民や王国が 一つに集められて主に仕えるために。²³主は 私の力を道の半ばで弱らせ 私の日数を短くされました。²⁴私は申し上げます。「私の神よ 私の日の半ばで 私を取り去らないでください。あなたの年は世々に至ります。²⁵あなたは はるか昔に地の基を据えられました。天も あなたの御手のわざです。²⁶これらのものは滅びます。しかしあなたは とこしえの方です。すべてのものは 衣のようにすり切れます。外套のように あなたがそれらを取り替えられると それらはすっかり変えられます。²⁷しかし あなたは変わることがなく あなたの年は尽きることがありません。あなたのしもべたちの子らは 住まいを定め 彼らの裔は 御前に固く立てられます。」」


 この詩篇の作者は、自分の苦しみを隠すことなく、率直に神に祈ります。父なる神に祈る時、どこか遠慮しながら祈っている時があります。こんなことまで祈っていいのだろうか、と考える自分がいます。しかし、この詩篇の作者のように、神はどんな祈りも聞いてくださっていると信じる信仰こそが、大切なのだと思います。なぜなら、私が信じる神はこの世界を創造された全知全能の神さまです。そしての創造主に対し、「父よ」と呼ぶことがゆるされているのです。だから、かしこまったりせず、ありのままの祈りをささげることこそが、父なる神の喜びなのだとと思いました。

文:アイゾン直子


祈り:愛する天のお父さま。あなたの愛を受けて、どのような祈りも聞いてくださ

ること、心から感謝いたします。私のような存在を思い、とりなしの祈りをしてくださっているイエスさまに感謝いたします。みこころにかなう者とされますように。あなたの愛を実践する者となれますよう、教え、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 

「全き道に心を留める」 「全き心で行き来する」


 「全き道」とは、神によって示された、神の喜ばれる生き方を意味しているそうです。「全き心」とは、神のみこころと私たちの心が一つになっていると言われています。


 果たして、自分が日々神の喜ばれる生き方をし、そして、それは神のみこころと自分の心が一つになっているだろうかと自問自答させられるところであります。


 スーパーに食料品を買いに行った時に、ある一人の店員がとった行動が、まさに神の喜ばれる生き方だと思わされて感動しました。お金を払っていたレジの所で、先に買い物を終えて出ていったお客が、フルーツの入った小さなプラスチックの入れ物が袋から下に落ちてしまって、フルーツが散乱してしまっていた。そのことを見ていたある一人の店員が去って行こうとしたお客の後をおって、新しいものを取ってきて差し上げたのである。その人のとった行動が機敏で親切だったのでとても感動しました。そして、今日の詩篇101篇を読んだとき「全き道」の御言葉につながったのである。これが神の喜ばれる生き方なんだと示されました。小さなことではあるけど、スーパーの店員さんは見事に神の喜ばれる生き方をしたのです。神の喜ばれる生き方とは、大きいことだけをするだけではないのです。この店員さんのように小さなことを相手の為に喜んですることが、神の喜ばれる生き方だと思います。そのことを通して次の御言葉が示されました。


「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、もっとも小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。」ルカの福音書16:10


 愛する天の父なる神様。私たちが日々の生活の中で、全き心で、全き道に心を留めていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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