- hccnichigo
- 8月16日
「わがたましいよ 主をほめたたえよ」
作者自身が自分に鼓舞して賛美を促すことばで始まるこの賛美は、私たちの教会でもよく賛美する賛美曲、「主はよいお方」を思い出させる。
作者であるダビデは、日々その命だって危うい時代に生き、それに加えて、国の問題、家族の問題、私など比べようのないほど不安定な日々を過ごし、問題のない日などなかったのではないかと思う。それこそ、今日を無事に過ごせてありがとうございますという日々ではなかっただろうか。
その彼が、自分の心を奮い立たせ、賛美を捧げている。神様が自分にして下さった良いことや神様のご性質を思い出し、それまで神様はその愛によって赦し、恵み、関わって下さっていたことを思い起こしている。彼が感情によって賛美しているのではなく、あえて賛美することを選んでいるのだと伝わってくる。それは、神様は私たちが賛美したい気分のときだけ賛美に値されるお方ではなく、いつでも賛美を捧げるのにふさわしいお方であるからだ。
一方、自分自身のためにも賛美を捧げることを選ぶということもあると思う。神様のご性質を賛美によって宣言することで、決して離れずにいて下さる愛の神様の御手の中に、自分が生かされていることを再確認する。人の愛は欠けがあるが、神様の愛、そしてご計画は完全だ。問題やストレスを抱えていたとしても、その神様があえてその状況に自分の身を置くことをお許しになっているのだからと思うと、ただ問題としか思えなかったものの中に、何かしらの意味があることを思う。
天のお父様、あなたはどんな時も私たちの賛美を受けるのにふさわしいお方です。それでも、気分にまどわされ、賛美が難しい時があります。どんな状況に置かれても、ダビデのようにあなたに目を向け、あなたのすばらしさを思いめぐらすことができますように。あなたは真実なお方。今までどれほどの恵みをもって、私と共に歩んで下さったことでしょう。あなたは完全な愛をもって、私を赦し、癒し、導いて下さっています。これからもずっと、永遠にあなたの愛は変わりません。そのあなたの御手に今も導かれていることを思い、恵みの中に留まり続けることができますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
主はよいお方

