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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『喜びの刈り取り』


 主がシオンを復興してくださった時と、この詩篇は始まります。エルサレムが復興したのは、バビロン捕囚されていたユダヤ人たちが、紀元前538年、ペルシャのクロス王よって、預言されていた通りに70年の苦難の後、エルサレム帰還が許されました。


 この預言、イザヤ書40章2節「エルサレムに優しく語りかけよ。 これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と」 二倍とは長子が他の息子に比べて相続する量のことで、エルサレム(稚名シオン)は二倍のものを父なる主から受け取ると、バビロン捕囚の150年ほど前の預言者イザヤによって語られていたのです。 そうして、70年という捕囚の期間については、同じく、捕囚が始まる前の預言者エレミアによってエレミア書29章10節「まことに、主はこう言われる『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』主がシオンの繁栄を回復されたのです。


 しかし、この時代のイスラエルの歴史を良く見ると、クロス王によってのエルサレム帰還は、決していっぺんにスムーズにされていたのではなくて、初めに帰還したユダヤ人は少数で、やがて何度かに分けて帰ってきましたが、城壁が直されるのも時間がかかりましたし、さらに神殿が立て直されるのには、もっと時間がかかったことが分かります。

  

 そのような遅々として進まぬイスラエルの回復を、待ち望んでいたこの詩人は、戻ってきたイスラエルの民たちに、もう一度、捕囚から故郷へ、あのシオンに初めて戻ったきた時の初心を思い出すようにと語りかけているように思います。


 私たちは喜びで満たされたではないか、涙して種を蒔いた者だったけれど、喜び叫びながらシオンに戻ってきたではないか、どうか初めの喜びを思い出そうではないかと訴えているのではないでしょうか。


祈り

私たちHCCも、これから将来のために隣接するマウカハウスの建て直し計画があります。次世代にむけて種を蒔きましょう、苦難がともない涙するかもしれませんが、喜びの刈り取りに向かっていることを覚えましょう。 アーメン 

文:森 宗孝


 

「主に信頼する人々はシオンの山のようだ。

 揺るぐことなく とこしえにながらえる。」125:1

 

 私たちの心は日々の生活のなかで、いろんな状況の変化によって不安になって動揺することがあります。しかし、主に信頼する人々がシオンの山のようだと例えられています。


 エルサレムへ向かって巡礼の旅を続けてきた人たちは命がけだったと思います。なぜなら、エルサレムの周辺の山々は、自分たちの巡礼の旅を遮るかのように高くそびえていたそうです。しかし、エルサレムの神殿についてみると、エルサレムを囲む山々は、神の都を取り囲み、守っているように、主は信仰者を囲んで守られると言うことです。


 最近私の周りでも揺るがされることが、次から次へと起こってきました。主の為に何かをやろうとすると必ず問題がおこり、心が大いに揺るがされます。このような時に、主に信頼することを怠るとつまずいてしまいます。この揺らぐ心は何かを知ったときに私ができることは、ただひたすらに主に信頼して祈ることでした。


 神は、私たちの心を知るために私たちの心を大いに揺るがされます。時にはサタンも用いられます。そのような時に神の御心が何であるかを知る時でもあります。今回の私の周りで起こったことを通して知らされたことは、やはり、主を信頼して他者のために真心から祈っていることでした。すべての問題が一つ、一つ解決していった時は、主を信頼して祈れば必ず聞かれるという実感でした。主に感謝でした。


 天の父なる神さま。日々、いろんなことで心が揺るがされても、あなたに信頼していくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。さあ イスラエルは言え。」(1)

「 ほむべきかな 主。主は私たちを 彼らの歯の餌食にされなかった。」(6)

「 私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」(8)


 私のこれまでの人生を振り返ると、思い通りに進んだわけではありません。むしろ、先が見えない谷底のような時もありました。けれども、あの人生のどん底と思えたときに、私はイエス・キリストと出会い、救われました。それはまさに、出会うべくして出会った神の恵みでした。


 救われたあの日から今日まで、全てが順調だったわけではないけれど、一番大きな宝物は、神さまと出会い、その愛の中に生かされているという事実です。この出会いは、何物にも代えがたい最高の贈り物です。


 詩篇124篇のように、もし主が私の味方でなかったら、私はきっと押し流され、飲み込まれていたでしょう。しかし、神さまは盾となってくださり、敵の「歯」から守ってくださいました。その守りは今も続き、そしてこれからも続きます。


 だから、これから先、どんな困難や試練が訪れても、私は安心して歩めます。なぜなら、私たちの助けは天地を造られた主の御名にあるからです。



愛する天のお父さま

 私を救い、あなたのもとに導いてくださりありがとうございます。どんなときもあなたが私の盾であり、守りであることを信じます。この先もあなたの御名に信頼して歩みます。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 
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