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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『主をほめたたえよ』


 都上りの歌の最後は、主をほめたたえることです。私たちの教会の賛美チーム、本当に素晴らしいと思いませんか、思わず手をあげて主をほめたたえる気持ちにしてくれます。創造主ということは、この世のすべてのもの、広大な宇宙も、このハワイの島々も、すべての被造物を創造されて、それだけではなく、私たちには見ることのできない天使や霊的世界も創造されたということです。ですから神の本質は、すべての元となっている真理ということができます。


 しかしながら、多くの人たちは、この創造主たる主の存在そのものを信じることができない真理を理解しない、霊的に盲目であるというのが、聖書には明らかに記されています。


イザヤ書65章1節「わたしを尋ねなかった者たち(異邦人)に、わたしは尋ね求められ、わたしを探さなかった者たちに、わたしは見出された。わたしの名を呼び求めなかった国民(イスラエル)に向かって、『わたしはここだ、わたしはここだ』と言った。

ヨハネ1章10〜11節「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。


 伝道しても、無視されてしまう、家族伝道しても伝わらない、でも気にしないでください、この世は、もともと主イエスを受け入れないものなのです。


 このような世界の中で、どうしてか解りませんが、私たちは霊的な眼を開けていただき、主イエスを信じる者と変えられたのです。主のしもべとなりました、主の家に仕える者となったのです。けっしていやいやしもべになったのではありません、心から喜びをもって仕える者とされました。ですから喜びに溢れて、今の世では苦難があります、伝道しても結果がでないかもしれませんが、私たちは、主イエスを知る喜びに溢れて、シャロームで主を賛美します。


祈り

賛美チームに感謝します。心の底から、喜びをもって、。手をあげて主をほめたたえることができることに感謝します。主の栄光が表されますように! アーメン

文: 森 宗孝


 

『なんという幸せ』


 これはずいぶんと短い詩ですが、描かれて場面は、イスラエルの北にあるヘルモン山からエルサレムまでの広大な地域に降りる露のようだ。と主のいのちの祝福が、すべての約束の地に広がっていく様子を表しているようです。


 ヘルモン山と言えば、思い出すのは、そのふもとにピリポ・カイザリアという都市がありました。ヨルダン川の源流が、この山々から流れ出てガリラヤ湖に注がれるのですが、ガリラヤ湖からバスで1時間ぐらい北に上ったところでしょうか、ここには、イエスの時代には、パン神の神殿が建てられていて、洞窟から湧き出る泉から、冷たい透き通った小川を今でも見ることができます。マタイ16章に出てくる背景はこのピリポ・カイザリアです。


 きっと多くの人たちが、この神殿にお参りにきて賑わっていたのでしょう。そこでイエスは、神殿や参拝者を見ながら感激している弟子達に向き直って「人々は人の子をだれだと言っていますか」と問われたのではないかと思うのです。今まで目の前の神殿や参拝者に気を取られていたシモン・ペテロがはっと気がついて、「あなたは生ける神の子キリストです。」と答えたのです。日本でいえば、伊勢神宮の参拝客が賑わう中で、イエスが私たちクリスチャンに振り向いて、あなたはわたしを誰だと思うか、と問われているような場面です。


 そうして、イエスはペテロに答えて「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」とはじめて教会ということを口にされた時だと思いますが、ペテロの信仰の上に建てる教会ともとれますし、目の前の神殿は、岩だらけの山の前に建てられていましたから、その岩山を指して、異教の偽物の神殿ではなく、本物の神の神殿である教会を建てると宣言したのではないかと想像するのです。


 話がヘルモン山のことから、本題からずれてしまいました。この詩篇、兄弟たちが一つになる幸せ、楽しさを頭に注がれた貴い油、つまり主から選ばれて、あぶら注ぎを受けた喜び、それはとこしえのいのちの祝福と描いています。私たちも主イエスを信じた時に、主から聖霊による油注ぎを受けていることを覚えましょう。そして、とこしえのいのちの祝福を受けている者となりましたことを感謝しましょう。


祈り

感謝します。聖霊による油注ぎを受けていますことに心から感謝します。そうして神の家族として、兄弟たちが聖霊によって一致して、ともに生きることの楽しさと幸せを受けていることに、感謝します。 アーメン 

文:森 宗孝


 

「主はシオンを選び それをご自分の住まいとして望まれた。」13節

「『これはとこしえに わたしの安息の場所。 ここにわたしは住む。

  わたしがそれを望んだから。』」14節


 詩篇132篇は、「都上りの歌」の中では一番長い詩篇です。この詩篇は、捕囚の後に、神とダビデとの契約を確認するために作られたのではないかと推測されているそうです。ダビデ契約と言われる12節に目が留まりました。


「もし あなたの子らが わたしの契約とわたしが教えるさとしを守るなら 彼らの子らも とこしえにあなたの位に就く。」 


 しかし、ダビデ王の子孫たちがこれを守らなかったために、バビロン捕囚というさばきをうけなければならなかったのである。だが、主なる神は、彼らが裏切っても彼らをシオンに導き帰されたのである。そればかりか、シオンをご自身で望まれて、安息の場所として、住まわれると言われています。なんという主の御恩恵でしょうか。主は契約したことは決して取り去られません。


 主ご自身が望まれた安息の住まいシオン(エルサレム)、又、ユダヤ民族にとっての約束の地でもあります。しかし、現在のシオンはどうでしょうか?主が選ばれたご自分の住まいが今やとんでもないことになっています。いつになったらエルサレムの地に平和がおとずれるのでしょうか。私たちクリスチャン全員がエルサレムの為に祈り合わなければ千年王国は、主の再臨は、ますます遠くなるのではないでしょうか。


 天の父なる神様。私たちは、シオン(エルサレム)の為に祈ります。あなたが望まれた、とこしえの安息の場所に、一日も早く平和がおとずれますように。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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