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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」(4節)


 パウロは、迫害や困難の中でも諦めずに福音を語り、それも「人の評価」ではなく、「神に喜ばれること」というのです。 そしてへつらいのことばや貪りの口実を設けずに、子供たちを養い育てる母のような優しさで仕えたとあります。


 私自身を振り返ると、いつのまにか「どう見られているか」「人からどう評価されるか」を気にして行動や言動を選んでいることがあります。特に母の介護をしているとき、関わる医師、看護師、ケアマネ、デイケアのスタッフなど、その方々の目を意識している自分がいるのです。 正直、もし周囲の目が全くなかったら…ニュースで見るネグレクトやDVのような事態にならないという自信は…ないかもしれません。(笑)


 でも、この気づきは、私の弱さを知るだけでなく、神さまが私に何を求めておられるかを教えてくださいます。介護も普段の生活のなかでも、「人に見られているからする」のではないということ。私の行いを神さまの前に正直に出すことによって、神さまは私の心の奥を探り、行いを純粋にしてくださる方だと思うのです。


 また、パウロはだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、福音を伝えたとあります。無償の愛のように、お金や物を与えるのではなく、時間や優しさ、労力を惜しまず差し出すということを学びます。

 母の介護も、その一つだと思います。そこには、誰かの承認や感謝を求めるのではなく、神さまがいつも見ていてくださるからこそ続けられるという思いがあります。神さまに喜ばれることを願って仕える時、その差し出された思いや行動の中に、神さまの愛が映し出されるのだと思うからです。


愛する天のお父さま

 私の心を探り、私の行いをきよめてください。人の評価や承認よりも、あなたが喜ばれることを選べるようにしてください。 母の介護においても、周囲の目に左右されず、あなたの愛を土台として仕える力をください。 私の弱さを隠さずに御前に出し、変えられる喜びを味わえますように。 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 

「パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたのありますように。私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」


 この教会は、新しく生まれたばかりの教会ですが、周辺地域に影響を与えるほどの力強い証しを立てていました。信徒たちの「迫害下における喜びの信仰」が、周辺地域の人々の心を動かしたのだろうと思います。パウロは、彼らの実生活にその理由があるとしました。それは、「信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」です。パウロの神学において、キリスト者の生活の中心は「信仰」「愛」「希望」です。そしてこれらは、行動が伴うことを強調しています。 「信仰から出た働き」とは、主イエスの教えの実践です。祈ること、困っている人を助けるなど、またそれぞれの場所において誠実に働くことなども含まれます。「愛から生まれた労苦」とは、家族や教会、また地域のために仕える姿勢です。「主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐」とは、「最後は主が勝利される」という希望によって耐える力です。


 パウロはテサロニケの教会にたいして「信仰・愛・希望に生きる教会の模範」としていつも神に感謝していました。私も福音を伝えるため、また教会を支えるために奉仕してくださっているお一人お一人に感謝の祈りをささげたいと思います。

文:アイゾン直子



祈り:愛する天のお父さま。多くの兄弟姉妹の働きによって、あなたの福音が宣べ伝えられています。そのお一人お一人に感謝をいたします。どうぞ、あなたのために労苦されておられる方々に、あなたの恵みと祝福が豊かに注がれますように。主イエス・キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン


 

 詩篇第150篇を読むと自然と、「ハレルヤ神の聖所で~」の賛美が口ずさんできます。


「ハレルヤ神の聖所で  神をほめたたえよ

 御力の大空で 神をほめたたえよ

 ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 ハレルヤ その大能のみわざのゆえに

 ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 ハレルヤ そのすぐれた 偉大さのゆえに」


 この賛美は各教会でもよく歌われています。私たちの教会でも時々歌います。


 150篇という長い詩篇も今日で終わります。詩篇最後にふさわしいハレルヤの賛美ではないでしょうか。詩篇を読んできて思ったことは、いろんな苦難、危険な目にあってもそれぞれの作者たちは、嘆きから始まっても最後は主への感謝の祈りに変わっていることです。私たちもこの詩篇の作者たちのような状態に陥った時に、絶えず主を呼び求めて、自分の気持ちを素直に告白して、祈っていくことが与えられているということを覚えていきたいものです。


 神をほめたたえる賛美のしかたがすごいと思いました。角笛をふきならして、琴と竪琴にあわせて、タンバリンと踊りをもって、弦をかき鳴らし笛を吹いて、音の高いシンバルで 神をほめたたえるのです。これだけの楽器をもって、ハレルヤ、と主をほめたたえたい作者の神への感謝の気持ちが実に心に共感してきます。


 鎌野善三牧師が語られたことが心に響きました。


「神の最高の偉大さは、そのひとり子イエス・キリストを私たちのために与えてくださったことである。」アーメンです。


 ハレルヤ。あなたの御名を心からほめたたえます。神様、私たちのために愛するひとり子を与えてくださって感謝します。あなたは、比類なき偉大さにふさわしいおかたです。今日も明日もこれからもずっとこの地上にいる間、あなたに「ハレルヤ!」と心から賛美していきます。苦難のなかにいても祈れることができる幸いを感謝します。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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