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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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  • hccnichigo
  • 10月16日

 箴言6章は現代の社会にそのままあてはまる教えが書かれています。

保証人について、怠けものについて、主の嫌う七つのこと、父の命令、母の教え、人妻との姦通などが語られています。


 私がアメリカに初めて来たときに大学の先生に言われたことは、どんな用紙にも簡単にサインするなということと、人を簡単に信用するなということでした。友人の保証人になったばかりに、その人に裏切られて自分の全財産すべてを失って家族が離散して、挙句の果てにホームレスになったり、自殺にまで追いつめられたというケースをよくメディアを通して見聞きすることがあります。保証人になってもらった人に対して、果してどれだけの人が最期まで忠実にいられるだろうかと思わされます。昔も今も、保証人になるということは、とても慎重で大きな責任と覚悟がいるということです。


 だれも簡単に人の保証人にはなりたくないと思います。

だが、イエス・キリストだけは私たちの罪の保証人となってくださったのです。なんの見返りもない、イエス・キリスト自らの死によって私たちの罪の保証人になってくださり、罪からの解放、永遠のいのちが保証されたのであります。これ以上の保証人になれる方はどこにもいません。


「わが子よ、あなたの父の命令を守れ。

  あなたの母の教えを捨ててはならない。」―20節―

「それをいつも心に結び、首に結び付けよ。」―21節―


 ここで言う、「父の命令」、「母の教え」というのは、「神の教え」、「神の言葉」と言い換えることができると言われています。そして、その「神の教え、言葉」をいつも心に持ち続けて、衣服のようにしっかりと身にまとっていなさいということです。なぜなら「神の教え、御言葉」はいのちの道へと導いてくださるからです。


「命令はともしび、おしえは光、訓戒のための叱責は、

  いのちの道であるからだ。」―23節―



 天にいます父なる神さま。イエス・キリストを私たちの保証人にさせてくださったことを感謝します。その愛を心にしっかりと持ち続けていくことができますように、また、あなたの御言葉を身にまとっていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


 
  • hccnichigo
  • 10月15日

 箴言にはたくさんの御教えが詰まっている。

「Aを行えば、Bという結果になる」の法則などである。(B)結果が悪いものであればそれを回避する知恵(C)が書かれている。


 私は一時期、差し歯やクラウンなど歯医者さんが扱うラボラトリーで働いていた。歯をジルコニアや金などで患者の歯の形に作るわけですが。その時、子供の歯を作ることがあり、(A)甘い物を食べ過ぎて (B)歯が溶けてしまったらしい。できたクラウンを見て可哀想に思った。これを回避するには、(C)甘い物を食べすぎないことである。


3節 よその女の唇は蜂の巣の蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだが、(A)


4節 終わりには苦よもぎのように苦くなり、両刃の剣のように鋭くなるからだ。(B)


7節 子たちよ、今、私に聞け。私の口のことばから離れるな。(C)


 甘い蜜を吸っていると、その時は美味しいと感じるが、最後には にがく苦しい思いをする。浮気をしていると家庭が壊れる。だから自分の妻を愛しなさい、と教えている。キーワードは、御言葉から離れるなということだ。


 これが簡単なようで、とても難しい。サタンの誘惑と挑戦は多いからである。アダムとイヴが禁断の木の実を食べて以来その性質が私たちに残っている。神様に呼ばれているのに、隠れてしまう者なのだ。


祈り:

愛する父なる神様、

 私たちは、美味しそうな物がある道へと進んでしまい 痛い目に遇うことがあります。何があなたの道で真理なのか、何ががそうでないのか、見分ける知恵を、その岐路に立ったとき気付きが与えられますように。知識であなたの言葉はわかっていても行動が伴わない時があります。自分からあなたを離さないように、あなたの道へと歩いていけますよう 日々導いて下さい。感謝してイエス様のお名前により祈ります。アーメン

文: マッカータ−政子




 
  • hccnichigo
  • 10月14日

『あなたの心を見守れ』


 聖書が示す「義」にはふた通りあると思います。一つは人と人との関係にあっての義で、これは正義、誠実を示すわけですが、もう一つ神と人との義、これは神との正しい関係、真っ直ぐで、直線距離、もっとも神と短く結ばれるときの義と言えるでしょう。この箴言の父からの訓戒は、その両方の義を伝えているように、思いました。悪人たちの道を行ってはならない、これは人と人との関係です。しかし、知恵を得よ。悟りを得よ。もしくは知恵を愛せとあるのは、神の知恵ではないだろうかと考えました。


 私たちは、獣の心を知ることはありません。 いやいや私の家のワンちゃんのことは良くわかるというかもしれませんが、心を知るには会話がなされなければ、どうして、その心を知ることができるでしょう。私たちも、そのままでは神の心を知ることができませんが、幸いなことに、神の御子主イエスがことばとなって、私たちの中に住まわれたことで、主イエスのことばを通じて、父なる神のみこころを知ることができるようになったのです。 これが神の知恵ではないでしょうか。


 5節の「知恵を得よ。 悟りを得よ。忘れてはならない。」とあるのは、この神の知恵を父なる私が伝えた事を忘れてはならないということだと理解しました。そうすれば、この世において、まっすぐな道、神とも人とも、まっすぐな正しい道を歩む事になると伝えたかったのでしょう。21節「それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。」これは旧約時代ですから、律法を自分の心のただ中におきなさい、それが新約時代になると、主イエスがみずから愛の律法を私たちの心の中に刻んでくださったのです。


 この心をもって、26節「あなたの足の道筋に心を向けよ。そうすれば、あなたのすべての道は堅く定まる。」本当に、心がしっかりと主とつながっていれば、自分の道も堅く定まる事に感謝します。


祈り

どうか自分も義の道を歩むことができますように、人には正義と誠実をもって接し、神には真実をもって正しい関係が結ばれますように、自分の進むべき道を堅く定めてくださいますように アーメン 

文: 森 宗孝


 
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