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7月7日ディボーション

更新日:2020年10月12日

担当:綾子さん


申命記 13章



3節

その預言者、夢見る者の言葉に聞き従ってはならない。

あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、命を尽くして、本当にあなたがたの神、

主を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである。


語られたこと。

この申命記が書かれた頃はTVもインターネットも無い時代。

そんな時代でも民は神の言葉から離れては、主の怒りをかって滅ぼされることがありました。

現代に生きる私たちの周りには誘惑の種が無数に、そして身近にあります。

それ故に、主の教えを忘れて聖書を読むことすら忘れてしまうことがありました。

今も主は私たちに問うているような気がします。

”心を尽くし、主を愛するか?”と。

コロナウイルスの蔓延は悪いことだけでは無かったと感じます。

分刻みだった日々の生活から解放されて、自宅で過ごす時間が増えました。

最初は戸惑いましたが、主と向き合う時間が格段に増えて私にとって喜ばしい状況となりました。


応答

主よ、今後、コロナウイルスが終息して、以前のような生活が送れるようになったとしても、

私は主と交わる時間を第一に生活したいと思います。

どうぞ、世界中の民が平安に主を仰ぎ見ることができる日々が続くように私達をお守りください。



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