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2026年9月25日 マタイの福音書8章

hccnichigo
11 分前
読了時間: 2分

ただおことばをいただかせてください。


 マタイの福音書の5,6,7章は,いわゆる「山上の垂訓」と呼ばれる個所で、イエス様に招かれてクリスチャンとなった人たちの正しい生き方がおしえられています。もし教えるだけならば、イエス様の本当の権威をお持ちなのか信じようとしないかもしれません。そこでこの8章では、イエス様のみことばの超自然的なちから、スーパーナチュラルなパワーの権威の偉大さが色々な奇跡や不思議をとおして立証されるのを見ることができます。


 百人隊長のお話〈8:5~13〉を例にとって学びましょう。らい病人の次に来たのは、百人隊長です。彼は中風やみで苦しんでいる自分の部下を癒して惜しいと懇願します。中風やみという病気にかかると、体の付けの部分が激しい痛みをもって収縮し、その人を麻痺させるのだそうです。


 しかしこの百人隊長は異邦人です。らい病人がイスラエルの共同体から除外されていたように、異邦人も除外されていました。しかしイエス様は、この異邦人の部下に対して、癒しの御手を伸ばそうとされたのです。それはイエス様がこの百人隊長のイエス様に対する謙虚さを感じられたからだと思います。


 イエス様が、行って治してあげよう、と言われたのに、彼は断ります。そして「ただ、おことばをいただかせてください。」と言いました。一つの理由は、彼がイエス様を異邦人である自分の家に入れる資格はないといっています。もう一つの理由は、彼が権威の下にあるもので、イエス様が天の父の権威の下におられることをよく理解していたのです。そして、彼が部下に対して「行け」と言えば部下は行く、「来い」と言えば来ると言ってます。権威の下にいる彼は自分の語ることばの権威、パワーを知っていました。ましてや、イエス様の権威が天の父に下ある権威であると信じていた彼はイエス様のおことばのパワーを信じました。

 イエス様は隊長のこの信仰に驚いたと、また「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰をみたことがありません」(8:10)と書かれてます。そして、その部下は癒されました。


 愛する天のお父さま、今日のみことばを感謝します。イエス様のことばのパワーだけでなく、この百人隊長がいかに信仰の対象の方を正確に認識しているかを学べました。イエスさまのみことばをもっと深く学び、父なる神様とイエス様、聖霊様についてもっと正確に認識できるようお導きください。イエスキリストの尊い御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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