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2026年7月7日 ユダの手紙1章

hccnichigo
7月7日
読了時間: 3分

『永遠のいのち』


 この手紙の著者は、主イエスの肉親兄弟であるユダ、彼は兄弟の名前の順番から、おそらく長男イエスから、(兄弟の名前がヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモン)とあるので、妹たちもいましたが、ユダはおそらく4番目の兄弟であったようです。そして、ヨハネ7章5節には、「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」と明記されていますので、主イエスの宣教中には、まだ肉親である兄弟たちはイエスを、ただ宗教かぶれの、大工のお兄さんとしか見ていなかったようです。


 しかし、しっかりとした信仰を持ったのは、イエスの十字架のあと、復活のイエスに会ったことからでした。Iコリント15:7 「その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。」この復活の主イエスのために、そして、おそらく母マリアからも出生の不思議な神の導きを聞いていたことと一致してイエスが救い主であることを信じることができたのです。イエスと一緒に暮らしていた兄弟でさえも、主イエスを神の子とは到底考えていなかったという事自体、驚きですが、主イエスが父なる神との会話は、すべて一人で外におられる時に祈っていたので、仕事をしている兄の姿しか見ていなかったのかもしれません。彼の信仰は聞くことから始まり、目で確認することでしっかりと固まったのでしょう。


 ユダはここで、主イエスの兄弟と紹介する代わりに、イエス・キリストのしもべとして自分を位置付けています。初代教会の重鎮であった兄のヤコブとともに、きっとエルサレム教会を導いていたユダでした。そしてここでは、教会に忍び込んできた異端の教えに対して、12節「この人たちは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れる心もなく一緒に食事をしますが、自分を養っているだけです。彼らは風に吹き流される雨無し雲、枯れに枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木」と痛烈に批判しているのです。さらに、16節「彼らは、ぶつぶつ不満を並べる者たちで、自らの欲望のままに生きています。その口はおおげさなことを語り、利益のために人にへつらいます。」なんとなく、色々な教会を訪ねた経験から、現代でもそのような見かけ倒しの信徒の顔が見えてくるようにも思えますね。しかし、これは聖なる都である、エルサレム教会での話なのです。19節「この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊をもっていません。」この御霊を持っているかどうかが、真のクリスチャンかどうか見分けることになるわけです。


 エルサレム教会のリーダーである、ユダは現代の教会にも通じる呼びかけをしています。分裂を引き起こし、生まれつきの自己中心のままで教会に来ている者に気をつけろ、私たちには主イエスの愛にあって

永遠のいのちに導かれる者であるから、自分自身をきよく保ち、キリストの再臨を待ち望もうではありませんか。


祈り

私たちも、自己中心な生き方から、主イエスに出会って新しい命を頂き、聖霊の導きによって、主イエスの願いが自分の願いと重なることができる者と変えられました。どうかキリストの愛によって、肉の自分よりも、霊による導きに従うことができますように。 アーメン 文:森 宗孝


 
 
 

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