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2026年7月3日 ヨハネの手紙第一4章

hccnichigo
7月3日
読了時間: 4分

「愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。神からの霊は、このようにして分かります。人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。イエスを告白しない霊はみな、神からのものではありません。それは反キリストの霊です。」(1‐3抜粋)


「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(7‐10抜粋)


「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。」(18‐21抜粋)


 当時、ケリントスや他のグノーシス派に加え、ニコライ派、占星術師、魔術の師やお守りの商人たちによって多くの迷信や異端が生み出されていたといいます。そしてそれらは人々、特に若い改宗者たちの大きな誘惑になっていたようです。ケリントスという人物は、イエスは普通の人間として生まれたとし、イエスは神ではないという教えを広めました。またグノーシス派の人たちは、霊は善だが物質や肉体は悪という考えを主張し、神が人間の肉体を取るはずがないと結論付けていました。ニコライ派に至っては、「信仰があれば行動は問題ではない」と不道徳に妥協する考えを広めていました。


 使徒たちにとってこれらの教えが教会に混入することは脅威でした。そのためヨハネは、イエスは100%神であり、100%人間であること、そして信仰には愛と正しい生活が伴うことを強調しました。特に互いに愛し合うという教えは、そういった異端の教えに対抗するためであり、単に「仲良くしましょう」という意味ではありませんでした。グノーシス派による「特別な知識を持つ者だけが霊的に優れている」といった考えは、自分たちは特別な存在・無知な人たちは劣っている、という優越感を起こさせるため、教会の一致を壊してしまうと考えられていました。そこでヨハネは、「愛する者たちよ、互いに愛し合いましょう」(4:7)と、知識の高さではなく、愛が本物の信仰の証拠だと教えたのです。またニコライ派による偶像礼拝や性的な不道徳に対する寛容に対し、ヨハネが教えた愛は「何でも許すこと」ではありませんでした。真理を捨てて相手に合わせることでもありませんでした。ヨハネにとって愛とは、真理に基づいて相手の益を願うことでした。


 ヨハネは、正しい信仰(イエスを正しく知ること)と愛(互いに愛し合うこと)そして行い(神に従って生きること)の大切さについて教えました。その教えは厳しく、私は神を知っていると言いながら、人を憎んだり、見下したりするなら、その人の信仰は本物ではない、と彼は語っています。


 ヨハネの「互いに愛し合いなさい」という教えは、異端思想によって分裂し始めた教会に対し、「知識や自己中心ではなく、神が示された愛を実践して一致しなさい」というメッセージでした。そしてそれはまた、主イエスに繋がり続けるための唯一の方法なのだと学びました。


祈り:愛する天のお父さま。互いに愛し合うことを深く学ぶ章でした。美しいメッセージであると同時に、厳格なメッセージでもありました。聖書をさらに学んで、神さまへの愛をもっともっと育てたいと思いました。そしてその神さまの愛で、私のような者でも、人を愛する者へと変えていただけますように。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン                                文:アイゾン直子


 
 
 

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