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2026年6月20日 エゼキエル書39章

hccnichigo
6月20日
読了時間: 3分

 38章から続く39章で語られる戦争は、その起こる時期において諸説あるものの、終末期に起こるものといわれています。ヨハネの黙示録20:7-8には、ゴグとマゴグの名前が出てきます。「しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出ていき、戦いのために彼らを招集する。彼らの数は海の砂のようである。」


 38章には、ゴグが、無防備で安心してる国に攻め上りたい、略奪したい、獲物をかすめ奪いたいという思いを持っていたことが書かれています。神様を神様としない心、強欲、傲慢がサタンによって誘惑を受け、利用されました。そのような人の数は砂のように多かったということです。


「私はおまえを引き回し、おまえを駆り立て、北の果てから登らせ、イスラエルの山々に連れてくる。」(2)と神様がおっしゃるように、神様がこの状況を許しておられます。それは、すべての人が、神様こそ主であることを知るためでした。


「わたしが国々の間にわたしの栄光を表すとき、国々の民はみな、わたしが彼らの上に置いたわたしの手を見る。その日以降、イスラエルの家は、わたしが彼らの神、主であることを知る~今わたしはヤコブを回復させ、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わが聖なる名への、わたしのねたみによる。」(21、25)


 すべての民が、神様こそ主であることを知ることと同時に、汚れを取り除き、イスラエルを回復させることが神様の目的でした。「ねたみ」とありますが、これは、ヘブル語のキンアーという言葉で、その動詞は「全き専心を求めること」、「熱心」という意味が含まれます。主がイスラエルを回復へ導かれるのは、神様ご自身のイスラエルの民への熱心な愛情、神様の契約に対する誠実さ、のゆえということが分かります。


 そして、神様は「わたしは二度と、わたしの顔を彼らから隠すことはない。私の霊をイスラエルの家の上に注ぐからである。ー神である主のことば。」(29)と仰ってくださいました。


 人は神様なしでは、自分の悪い思いに支配されやすい存在であることを思わされました。しかし、自分の罪を認め、神様に立ち返る者に神様は、回復を与えて下さること、それは、神様のみ名のゆえ、契約に誠実なゆえであるという神様の真実に励ましを受けました。


愛する天のお父様 御霊を与えて下さってありがとうございます。私の心の奥底にもある、悪い思いを、サタンに用いられることがないように助けて下さい。罪に敏感になることができますように。心を癒やし、整えて下さい。自分の思いではなく、御霊に満たされ、今日を歩むことができますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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