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2026年6月19日 エゼキエル38章

hccnichigo
6月19日
読了時間: 2分

 この章にはゴグのイスラエルへの侵攻、そしてそのさばきと滅亡について書かれています。ゴグという人物が実在したかどうかは不明です。しかし黙示録に登場するゴグは神に反抗する諸国民全体を表す名称として使われていることから、多くの学者は、ゴグを特定の歴史上の人物ではなく、「神の民に敵対する最後の勢力の象徴」と考えているそうです。ゴグがまるで自身の考えでイスラエルの地に侵攻して行くかのように思えますが、よく読んでみると主はこう言われました。「わたしはおまえを引き回し、おまえのあごに鉤をかけ、おまえと、おまえの全軍勢を出陣させる」(4)「預言者たちは長年にわたり、わたしがおまえに彼らを攻めさせると預言していたのだ」(17)


 つまりゴグはイスラエルをさばく器として神に用いられる、ということです。私はこのような箇所を読むとき、全地全能であられる神を体感する思いです。そして私の悩みのちっぽけさに気づかされます。私たちに明日の出来事を知る術はありませんが、神は終わりをご存じであり、その中で最善を行うよう求められておられるのだと思います。種々の決断においても、結果を完全に支配することはできなくても、今出来ることを果たすことはできます。 それが今章から学ぶべき、大切な教訓の一つではないかと思いました。


祈り:愛する天のお父さま。すべてをご存じあり、すべてを支配されている主よ。あなたのような偉大なお方に守られ、愛されていることを本当に感謝いたします。私のような者があなたのようなお方に尊いとされ、大切にされていることに感動を覚えます。小さな働きしか出来ない私ですが、どうぞ主よ、あなたの御力によって豊かに用いてくださいますように。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン                                     

 文:アイゾン直子


 
 
 

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