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2026年5月25日 エゼキエル書13章

  • hccnichigo
  • 15 時間前
  • 読了時間: 4分

『偽預言者』


 この16節にあるように、エルサレムに平安がないのに平安の幻を見て、民を惑わしていた預言者とありますので、この13章は、バビロンへ捕囚(第一次捕囚)されたものの、未だエルサレム神殿の陥落(紀元前586年)前の状態を示していることが分かります。実にエゼキエルは1章から33章までは、エルサレム陥落前の捕囚の時の預言であり(陥落まで、およそ10年ほどであったようです)、その後33章から48章にかけてはエルサレム陥落後の預言となってゆくのです。 筆者の祭司の子で預言者のエゼキエルはバビロン捕囚が始まって、捕囚の民とともにカルデア人の地、ケバル川のほとりに住んでいます。これは恐らく現代の都市、テルアビブ周辺であったようです。北王国のイスラエルは、すでにアッシリア帝国によって滅ぼされますが、アッシリアは残酷な力による征服をしました、それに比べて、バビロン帝国は、アッシリアに比べれば、比較的緩やかな征服と言ってよいのかもしれません。現に、エゼキエルは、捕囚の身とはいえ、続けて預言活動を自分の家から行っていて、決して奴隷として肉体労働をさせられてはいませんでした。しかし、捕囚は続き、徐々にユダヤの民は、神殿を失ってゆきますが、やがて、神殿の代わりに、律法を守り続けようと会堂(シナゴグ)を町々に建設して、ユダヤ教を守ろうとする方向に進んでゆくのです。


 マタイ7:15「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。


 さて、この13章では、イスラエルの偽預言者たちに、彼らが語るむなしい幻や、まやかしの占いに対して、主の裁きを預言します。偽預言者たちは、平安がないのに「平安」だと民を惑わしているので、激しい憤りに出会うぞと、警告しています。偽預言者とは実は、愛国者であって、民に好かれている存在なのですが、主なる神のことばよりも、王や国民の声を代表してしまう存在でした。これは主イエスが来られた時も同じようなことが言えます。マタイ23章13節と15節、23節、25節、27節、29節「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人」16節の「わざわいだ、目の見えない案内人たち」も同じことを主イエスは示しておられるので、七つのわざわいを偽善の律法学者とパリサイ人について、ちょうど旧約聖書時代に預言者たちが、偽預言者たちと争ったように、神に対して従順なのか、王や民衆の声、いや自分の思いのほうが重要なのかと問いかけられておられるのです。


 なぜ、何度も何度も、神に聖なる民としてたった一人の人間、アブラハムから育て上げられたユダヤ民族が、親である神に背を向けて反逆してしまうのでしょう。このユダヤ民族の背信を見ながらも、これは同時に、私たちにも当てはま事であると思わずにはいられません。私たちは主なるイエスを信じて、洗礼を受け、主と同じ経験をするために、水に入り自分に死んでから、新たしく生まれ変わるという決意をした者たちであるにも関わらず、主の戒めを守ることができない、主を裏切ってしまうことも経験されたのではないでしょうか。


 キリスト教の教理には、十字架の主イエスを信じる時に、義認といって神の目に罪ある私たちでも、義としてくださったことが始めで、次に聖化といって、徐々に聖なる者として成長してゆくことが示されています、最後に向かう先が、栄化といって、主イエスのように栄光の富を頂くという順序があります、しかし、この栄化は、ほとんどの場合、自分自身の肉体の死を迎えた時、その時に初めて、すべてを神の御手に捧げることができると聞きました。それまでは、聖化の成長中とはいえ、自分自身にどうしても囚われてしまい、生きている間は、すべて、完全に神に任せ切ることができない私たちがいるのです。私たちは自分をどうしても先に考えて生きてしまうのですね。


祈り

主なるイエスよ。どうかどうしても自分自身を先に考えてしまう私をお赦しください。主の教えを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむことができますように、時が来ると主によって実を結ぶことになりますように。 アーメン 

文: 森 宗孝


 
 
 

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