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2026年5月11日 ペテロの手紙第二2章

  • hccnichigo
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

『脱落した信者』


 この章は、私たち信者への警告の書、キリスト者に授けられた主の戒めを捨てて、この世での評判をまず求めてしまう者、キリストの道徳を捨てて、この世の道徳に下ってしまう脱落した信者への痛烈な警告で、思わず自分は大丈夫だろうかと身を引いてしまうみことばのように受け取りました。


 偽預言者というのは、ユダヤの歴史の中で主が送られてきた預言者に対抗する者達ですが、実は、彼ら偽預言者のイメージは悪の塊のように、単純に思ってしまうのですが、そうではなくて彼らは愛国者なのです。民から慕われ、王から信頼されている、そのような者なのですが、それは主なる神の声よりも、この世の王や民の声を優先させている預言者なので、偽預言者となってしまうのです。同じように、私たち主イエスを信じる者となったクリスチャンも、主の戒めよりも、この世の評価、教会での評判に惑わされてしまいますと、真理の道から踏み外して、脱落の道、主にとって不敬虔な者、不道徳の者として進むことになりますという危険をはらんでいるのです。


 主イエスもこのように話されています、マタイ12章43〜45節要約:汚れた霊が人から出て行きましたが、出てきた自分の家に帰ろうと帰ってくると、家は空いていて、掃除されて片付いています。そこで自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んで住み着きます。そうなると、その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。この主イエスのたとえ話は、まさに脱落した信者の様子が描かれているのではないかと思うのです。欲望がもたらす腐敗、あたかもわずかなパン種が、あっという間にパンをふくらませるように、私たち主を信じた者も、このパン種に気をつけなければならないのです。


 しかし、肝心な問題は、救い主イエスを信じて救われた者、義の道を知っている者が、肉欲に負けたとはいえ、滅びてしまうのかという疑問がおきてしまいます。救いは果たして、私たちの状態次第で無くなることがあるのだろうかという疑いが起こってしまうのです。なぜなら私たち自身もこの世において、間違いを犯しやすい肉の身体を有しているからです。


 自分が思うには、このIIペテロ2章が描いている者は、罪を犯し続けてしまう者で、悔い改めのない者、この世に流され続けてしまいますと、良心の呵責が摩耗して、罪を犯しても心の痛みを感じなくなってしまう者を示しているのであろうと、主イエスを愛する心を失ってしまうと聖霊に反していることも分からなくなってしまうのではないでしょうか。それとは反対にIコリント3章には、私たちは与えられた神の恵みによって建築家のように、イエス・キリストが土台で、その上に家を建てている者のようだとのたとえがあります。土台がイエスであったとしても、人はそのうえに、自分の考えで、これが良いと藁の家を建ててしまう人、しっかりと硬い金や銀で家を建てる人、それぞれいるのですが、主の日に現れる火によって、その人の働きである家の価値、藁で建てた家は燃え尽きますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。とあるのです。ですから主イエスを土台としていれば、自分の働きが主の目には無駄なものであっても、主を信じてさえいれば、この世の家は焼けてしまっても、私たちの霊の命はたすかります。しかし、肉欲に負け、罪を犯し続ける者は、主を信じる前の状態よりも悪くなるということではないでしょうか。


祈り

聖書は、私たちの罪を赤裸々にあばきますが、同時に救いの道、十字架の主イエスをも示しておりますことに感謝します。どうか私たちも悔い改めによって、救われる者となって、主に喜ばれる家を建てることができますように。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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