2026年4月15日 エレミヤ書38章
- hccnichigo
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「主はこう言われる。『この都は、必ず、バビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを攻め取る。』そこで、首長たちは王に言った。『どうか、あの男を死刑にしてください。彼はこのように、こんなことばを皆に語り、この都に残っている戦士や民全体の士気をくじいているからです。実にあの男は、この民のために、平安ではなくわざわいを求めているのです。』するとゼデキヤ王は言った。『見よ、彼はあなたがたの手の中にある。王は、あなたがたに逆らっては何もできない。』そこで彼らはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの穴に投げ込んだ。彼らはエレミヤを綱でおろしたが、穴の中には水がなく、あるのは泥だったので、エレミヤは泥の中に沈んだ。」(3-6)
神のことばを語るエレミヤは、民に迫害されています。確かにいのちをかけてバビロン軍と戦っている者たちにとっては、敗けを語るエレミヤのことばは受け入れ難かったでしょう。それでもエレミヤは、神のことばを語り続けました。
この時代、偽預言者が多くいたようです。彼らは「平安」を語りました。この戦いに必ず勝利すると「希望」を語りました。しかし、彼らが語らなかったのは「罪の悔い改め」です。真の平安と希望は、罪の悔い改めの後に来るということを、彼らは語りませんでした。エレミヤも、神の永遠の愛、真実の愛、回復の希望を語ります。ただし、エレミヤは、罪の悔い改めも語ります。それが真の預言者と偽預言者との違いです。
現代においては、愛、赦し、平和、希望、などなど耳に優しいことばが語られます。聖書も同じことを語っています。ただ異なるのは、聖書のメッセージは罪の悔い改めを語ることです。これなくして、真の愛も赦しも、平和も希望もありません。
イエスの十字架こそ、この罪を取り除き、私たちの真の神の愛を示してくれるものです。私たちは、これからも真っすぐに十字架のメッセージを語っていきたいと思います。
天の父なる神さま
聖書のメッセージは、時に私たちの耳に優しく、時に耳に痛く刺さります。しかし、どれもあなたからのメッセージです。私たちがあなたの御声をより好みすることなく、そのまま聴くことができますように、私たちの耳を開いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン
文:関真士

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