top of page

2026年1月28日 イザヤ書49章

  • hccnichigo
  • 1月28日
  • 読了時間: 2分

 イザヤ書の特に40章以降は、宝物のような御言葉が満ちていて、本当に恵まれます。今日は特に6節です。


「主は言われる。『あなたがわたしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々光のとして、地の果てまでわたしの救いをもたらす者とする。』」

 

 バビロン帝国に滅ばされ捕囚となったイスラエルの民は、神のあわれみによってエルサレムに帰還し、神殿を再建し、祖国を復興していくのです。このバビロン捕囚からの解放は、イスラエルの歴史における最大級に重要な出来事であり、神の永遠の愛を想起させるものです。

 しかしここでは、その出来事を「小さなこと」だと言うのです。もちろん小さいわけがないのですが、その意味は、捕囚からの解放はあくまでも手段であって目的ではないということです。


 捕囚からの解放で完結する、つまり今の私たちにとってはイエスを信じて救られることで完結することはないということです。救いは、それ自体が目的ではなく、救われることによって起こる、その後に真の目的があるということなのです。


 その真の目的とは、私たちが国々の光となり、地の果てまで救いを宣べ伝えることなのです。私たちが救われたのは、この世界に神の福音を宣べ伝え、ここに神の国をもたらすことです。


 今一度、自分が救われたことの意味を考えたいと思います。クリスチャンが人口が圧倒的に少なく、伝道が最も困難な国の一つである日本人。その日本人である私が救われたことの意味、そしてなぜか自分がハワイに住んでいることの意味、などなど。自分が救われたことの意味を問い続け、その意味を意志として生きていきたいと思わされます。  

 

  天の父なる神さま

 私たちは、イエスさまを信じて救われました。感謝します。どうか私たちが自分が救われたことの意味を知ることができますように。何のために救われたのか、あなたの真の目的を教えてください。そしてそのあなたの御心に生きることができますように、どうか導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年3月12日 エレミヤ書4章

「まことに、主はこう言われる。 「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。」27節  エレミヤ書4章はイスラエルの神のさばきについて語られています。  心優しく、涙の預言者エレミヤと言われた彼の神への訴えに心に迫ってくるものがあります。ユダが主に逆らった罪のさばきを自分のこととして受け取り、 「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていら

 
 
 
2026年3月11日 エレミヤ書3章

この章には、悲痛とも言える父なる神の嘆きが記されている。神とイスラエルの民との関係を夫婦の関係として描いている。 「もし、人が自分の妻を去らせ、彼女が彼のもとを去って、他の男のものになったら、この人は再び先の妻のもとに戻れるだろうか」(1) 「彼女は、自分の淫行を軽く見て、地を汚し、石や木と姦通した。」(9)  民の偶像礼拝を、夫婦間における姦淫の罪として描いているのだ。しかし、これはただの譬えで

 
 
 
2026年3月10日 エレミア書2章

『どうして悪いぶどうに変わったのか』  昔、娘たちが育ったワシントン州のシアトル郊外の町に住んでいた頃は、森に囲まれていて、夏場になるとブラックベリーが、至る所で雑草のように増えて、散歩の合間にブラックベリーを摘んでいたので、ハワイでお金を払って買う気にどうしてもなれないほどブラックベリーがただで食べていたことを思い出しました。そして隣の家では、家庭菜園でぶどうとラズベリーを育てていました。しかし

 
 
 

コメント


bottom of page