top of page

2026年1月22日 イザヤ書43章

  • hccnichigo
  • 1月22日
  • 読了時間: 2分

 イザヤ書43章は素晴らしい御言葉が多くでてきます。なかでも私の心に留まる御言葉は、4節と25節です。


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」4節


「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、

  もうあなたの罪を思い出さない。」25節


 洗礼をうける決心ができたのもこの御言葉である。このような罪深い自分の罪をぬぐい去り、その罪を思い出さない、そして、このような罪びとを高価で尊いと言われ、しかも愛していると言われるのです。その御言葉に目が留まった時にまるで私の体全体に電流がながれるような気持ちにさせられました。涙がでてとまりませんでした。


 余談になりましたが、神は、イスラエルの民がどんな罪をおかしても、「あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している。」と、さらに、「あなたの罪をぬぐい去り、もう思い出さない。」と言われるのです。この神の愛はイスラエルにだけではなく全世界の私たちへのメッセージでもあります。なぜなら、神は私たちを造られたお方だからです。どんな時にも、そのような神に信頼していくことだと思います。


 ヒゼキヤ王の失敗を通して学ばされることが多くあります。どれだけ失敗をくりかえしても、その失敗を、弱さをもったまま主の御前に出ていき悔い改めていくことだと思います。私たちはクリスチャンであっても肉の人間です。この地上生涯では失敗の積み重ねだと思います。それでも、主なる神は、私たちに何度でも立ち上がるチャンスをあたえて、そこから学ぶことを教えてくださいます。なぜならそこには、主の愛と慈しみがたえず泉のように湧き出でているからです。


「おそれるな。わたしがあなたを贖ったからだ。

 わたしは、あなたの名を呼んだ。

 あなたは、わたしのもの。」1節


 

 天の父よ。御名をほめたたえます。

私たちが失敗や罪をおかしてもあなたの愛によって立ち直る機会を与えてくださるということを感謝します。あなたの一方的な愛に心から感謝します。その愛をこれからも信じていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年5月30日 エゼキエル書18章

「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。」(32)  エゼキエルが活躍したころ、イスラエルの人々は「父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く」、つまり、「父親の罪のために子供が罰を受けている」(リビングバイブル)ということばを信じていた。しかし、神様は、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がないと教えて下さる。公正と義を行い、神様の

 
 
 
2026年5月28日 エゼキエル書16章

エゼキエル16章はとても長い章である。ここではエルサレムの町が主の花嫁にたとえられています。今でも、教会は主の花嫁であることがメッセージの中で多々に語られています。  主は、生まれた時にだれも世話しなかった一人の娘をあわれみ、彼女の汚れを洗いきよめ、美しく育てあげ、契りを結んで花嫁とされたのに、彼女は主を忘れて他国の男性と姦淫を行ったのである。しかも、主はカナン人が住んでいた異郷の町を選んで、豊か

 
 
 
2026年5月27日 エゼキエル書15章

預言者の中で「ぶどうの木、ぶどう園」というには、イスラエルの民のことを指してます。  ぶどうの木は、実を結ばなければ、それ以外に何の役にも立ちません。幹は細いので、それで家具を造れるわけでもありません。実を結ばないぶどうの木は、薪くらいにしか使えません。  そのように実を結ばないイスラエルの民は、ぶどうの木のように火で焼かれる、つまり神の裁きによって滅びるという警告です。   「彼らがわたしの信頼

 
 
 

コメント


bottom of page