2025年7月22日 詩篇第78篇
- hccnichigo
- 3 日前
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『全き心で牧する主』
イスラエルの民は、強情で頑なな民、奴隷から解放されても、荒野で神に逆らって、神に忠実でなかった、神のおしえに従って歩まずに、神の数々のみわざを忘れてしまったとこの詩篇の作者は繰り返し語っている。
荒野の40年にもわたる生活の中で、確かに主は幕屋に臨在されていて、14節「昼は雲で彼らを導かれた。夜は、夜通し炎の光で」荒野の昼間の激しい高熱から雲となって彼らを守り、夜は夜で、野獣や他の異邦人部族が襲ってこないように、光となってイスラエルの民を守られたとあります。食べ物がないと不平をいう彼らに、マナをあたえ、岩から水を湧き出させ、肉がないと不平を言うと、うずらを天から降らせて、彼らは十分に食べ満ち足りたとあります。
神はあわれみ深く、彼らの咎を赦して滅ぼさなかったのです。しかし、彼らは、いと高き神を試み、神に逆らい そのさとしを守らなかった。偶像を刻んで、神の怒りを起こさせたために、彼らは敵の手に引き渡され次々に剣に倒れてしまいます。
私たちも、いままでの生き方を思い起こすと、恵みの神の手をふりほどいて、自分の思うことまっしぐらに進んでしまい、神のことなど思いもかけなかった、そのような経験を持っていないでしょうか。神に対して、逆らっていたというか、無視していたといったほうが良いのかもしれません。しかしそのような私をも、神は全きこころで牧してくださり、ご自分の手元に引き寄せてくださる神であることに感謝いたします。
主は、野で羊飼いをしていたダビデを選んで、ご自分の民イスラエルをい牧するようにされたとあります。羊飼いのない羊のようであった、私をもみことばで牧してくださる、全き心の主に導かれる喜びを分かち合いましょう。
祈り
私たちは、主に逆らって、そのさとしを守らなかったイスラエルの民をも、主がなんとか導かれようとされた歴史を振り返りながら、私たちも同様に愛されて、恵みを注いで下さる主に感謝いたします。アーメン
文:森 宗孝
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