top of page
  • hccnichigo

2024年5月5日 ルカの福音書14章

『お返し』


 14章は神への招きと、神に従う覚悟が述べられている。私が14章で特に心にふれられたところは、12節から14節の「お返し」について述べられているところである。


 「お返し」という作法は昔も今も変わらなく重要視されています。特に日本ではそうである。高価なものを頂いたからそれ相応なものをお返ししなければいけないとか、又は、以前とてもお世話になった人に対していつかは「お返し」しなければならないということ等々が世の常の習わしである。私自身「お返し」ということに大失敗したことがある。その失敗を通して、他者への「お返し」という見方から、主をあがめることができるような「お返し」に目が開かされたのである。大きな恵みで、まさに目から鱗がぼろりと落ちた気持ちで心が熱くなる思いがしたのを忘れません。主に感謝でした。


 余談になりましたが、12節から14節で、イエスさまが私たちに知ってほしいことに目がとめられました。


 イエスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。


「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。」-12節-


「食事のふるまいをするときには、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たちを招きなさい。」-13節-


「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。あなたは、義人の復活のときに、お返しを受けるのです。」-14節-


 そこの箇所を読んでいて、ホームレスへの炊き出しの光景が蘇ってくるようだった。お返しなしの無償の愛の働きです。彼らはお返しなどできません。でも、イエスさまは述べられています。彼らからお返しはなくても、主の復活のときはお返しを受けるというのです。これが無償の愛の報酬、つまり大きなお返しを受けることになるのではないでしょうか。


 

 愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を心から感謝します。招かれたら末席に座り、自分を常に低くし、自分の持ち物を主にお返しし、心の欲をすべて主にあけわたして、自分の十字架を負って主に従っていけますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 


閲覧数:40回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年5月18日 サムエル記第一3章

神様はサムエルにエリの家族の将来を告げる。それはエリの息子たちに神を教え、祭司の務めについて教え、教育しなかった故に彼の家を永遠に裁くということだ。そのことを聞いて、エリはそれは神様だという。以前神の人から同じことを語られ、息子たちに注意を促したものの、事態は何も変わっていないことを彼自身が自覚していたからだろう。そして、「主が御目にかなうことをなさるように」などときれいにまとまった言葉で、まるで

2024年5月17日 サムエル記第一2章

この章は、ハンナの主に対する高らかな喜びにあふれる賛美と祈りから始まります。1章で、エルカナの二人の妻の一人で不妊であったハンナは、サムエルという男の子を授かり、ハンナは主を大いに褒めたたえます。 この箇所は、11節の「 エルカナはラマの家に帰った。幼子は祭司エリのもとで主に仕えていた」とあるように、聖所において祭司エリの下で仕えるサムエルの成長とエリの家の罪とが対照的に描かれています。 「エリの

2024年5月16日 サムエル記第一1章

『ハンナの涙の祈り』 サムエルの母であるハンナの涙の祈りの箇所を読んでいて心にせまってきた。母の祈りは山をも動かすと言われるくらいに、母の祈りはまさに母の愛である。それは、計り知れないもので、深い愛に満ちたものである。ハンナの祈りは神の愛に触れられて深みに入ることができたのでしょう。私も人の母として子供のことを涙を流してこれほどまでに祈ってきただろうかと思わされるところである。 以前にアウグスティ

bottom of page