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2024年4月26日 ルカの福音書5章

 ルカの福音書5章27節以降から学んでみたいと思います。


 イエスがレビ(マタイ)と言う取税人に、「わたしについて来なさい」と言われた時、彼は「何もかも捨て、イエスに従った」とあります。


 ここで私たちは、イエスのことばの持つ力の大きさに驚かされると同時に、ひと声かけられただけで、すぐにイエスに従ったレビの決断にも驚かされます。その後、多くの人を招いて、イエスのために大振る舞いをしたことを見て、彼にはかなりの財産があったに違いありません。それでも「何もかも捨てて」従ったのです。


 それから続く文章から私たちはイエスは、今私たちが持っているものは捨てなくてもいいから、その上にわたしの命令を付け加えて、ついて来なさい」と言ってはおられません。今迄の生き方、考え方、習慣などすべてを捨てて、わたしについて来なさいと言っておられます。かなり厳しい命令です。


 私たち多くの人間は古い物への郷愁があり、39節にあるように、「古い物は良い」と思いがちです。それは、今までの生き方、考え方、習慣を捨てて、新しいものを受け入れるためには大きな障害となります。地球が太陽の周りを回っているのだと主張したガリレオは、それまで信じられていた考え方とは全く逆なので、世の人々から異端とみなされました。


 イエスとその弟子たちが、取税人や罪人と一緒に食事を楽しんでいるのを見たパリサイ人たちはそれを非難しました。それに対して、主は「医者を必要とするのは病人です。」そして、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。」と言われました。これはパリサイ人たちに対して、あなたたちの古い考えをすべて捨てて、わたしの新しい教えを受け入れなさいとご自分の方に招いておられるのです。


 そして、もしそうしないならそれはこれからわたしが示す ”たとえ” と同じことをあなたたちはしていることになるのだよと、二つのたとえを話されました。


 イエスは、わたしの新しい生き方を受け入れようとしないのは、又はあなたたちの古い生き方を捨てないで、私の新しい生き方を部分的にだけ受け入れる者は、新しい布切れを古い着物に継ぎあてをするようなもので、古い着物を裂いてしまいます。また、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると、その古い皮袋は張り裂けてしまうようなものですと言われました。(36~39節)


愛する天のお父様、今日のみことばに感謝します。

 私たちもあなたを私たちの人生の救い主として受け入れてから後、自分の生き方、考え方、習慣は次第に変えられてきてはいますが、主よ、レビ(マタイ)のようにすべてを捨ててあなたに従うことはできていないかも知れません。しかし、そんな私たちをも大目に見ていてくださることを感謝します。そしてこれからの人生において、もっと自分を捨て、あなたの御心に、御計画に沿って歩めるようお導き下さい。イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。


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