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2024年4月17日 士師記21章

 気が滅入るような事件が続きます。ベニヤミン族を絶やさないための策は、モラルなどまったくない目を覆いたくなるような内容です。

 確かに、イスラエル民族にとって12部族があるということは、民族的に重要だったのです。しかし、ベニヤミン属を絶やさないために取った方法は、とんでもないことです。


 士師記に繰り返されている文言が、士師記の最後のことばでもあります。

「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」(25) 

 これがすべてです。王がその国を治めている時には、そこには規定があり、社会には秩序が生まれます。もちろん王が悪い王であったら、大変なことになってしまうわけですが…。

 

 ここで学んだことは、自分たちは、正しく治められる必要があるということです。「自分の目に良いと見えること」という事になれば、それぞれの良い事の定義、物差しが違いますから、そこには無秩序と混乱が生じてしまいます。

 そして、今の時代がまさにこの士師記の状態であると思います。すべてを相対化し、自分の目がすべてを判断していくという状態です。


 神に治められることがない人間の姿が、士師記に描かれています。そして、この民の姿から、今の私たちにとっても、もし神に治められることを忘れたら、自分もこのような誤った判断、選択、行動をしてしまうのだということを学びます。


 天の父なる神さま

 どうか、私たちが神に治められる者たちでありますように。与えられた自由をはき違えることなく、神に治められることによって得る真の自由に生きることができますように。

 どうか、聖霊が私たちを導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン                                           文:関真士


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