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2024年3月25日 マルコの福音書14章

『主のみこころがなりますように』 


 過ぎ越しの祭り(種なしパンの祭り)が二日後に迫りました。イエスが十字架に架かられる日が二日後に迫ったのです。その日、祭司長たちと律法学者たちはイエスを殺すための方法を思索していました。イエスはというと、ツァラアトに冒されたシモンの家で、マルタとラザロの妹マリアが持参したナルドの香油によって、ご自身の埋葬の準備を行っていました(ヨハネ12:2‐3参照)。そしてその日、イスカリオテのユダにサタンが入りました。


 香油をイエスに塗った女性マリアの行為は、世界中、福音が宣べ伝えられる所どこででも、記念として語られると主は言われました。そこにいた幾人かの弟子たちは彼女の行為を否みましたが、主は彼女の行為を究極の礼拝として受け入れられたのではと思います。


 マリアが用いたナルドの香油は非常に香りが強く、それは家中に香るほどだったようです(ヨハネ12:3)。その香りは、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、カヤパの官邸、ピラトの法廷、ヴィア・ドロローサ、そして十字架と、その間ずっと漂っていたのかもしれません。そのように創造する時、その香りは、今も福音と共に漂い続け、決して絶えることのない香りなのだろうなと思いました。


 さて祭りの前日、弟子たちはイエスが言われるように過ぎ越しの用意をし、その日の夕方、主は弟子たちと過ぎ越しの食事(主の晩餐)をされました。そしてパンとぶどう酒による契約を弟子たちと結ばれると、彼らを連れてオリーブ山へと出かけます。主はゲッセマネに着かれると、苦悶の祈りを父なる神にささげ、時が来たことを皆に伝えます。イエスはやって来た人々に捕らえられ、大祭司の家へと連行されます。そしてそこで有罪判決が下ると、主が預言された通りのことが弟子たちに、そしてペテロに起きました。


 オリーブ山でイエスは弟子たちに向かって「あなたがたはみな、つまずきます」と言われました。しかし弟子たちは、誠実な思いをもってそれに反論します。しかしイエスが連行されるや否や、その通りのことが起きました。彼らの体験から、過信の愚かさについて学ばされます。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません」という思いはペテロにとって真実であったと思います。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは言いません」という思いもまた、弟子たちにとって真実であったと思います。しかし、神が喜ばれる信仰とは、そのような自信にあふれたものではなく、神の赦しなしには生きていけない、そのような信仰だと思います。


 主がゲッセマネにおいて苦悶の祈りをされていた時、ペテロやヤコブ、そしてヨハネは眠っていました。彼らの主に対する思いは誠実なものでしたが、十字架の死を前に、イエスが最も助けを必要としていた時に、励ますことも、また祈ることもなく、眠っていたのです。


「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです」(マルコ14:38)


 神は私たちがそういう者であることを、重々承知しておられ、だからこそ、祈りによって勝利を得なさいと教えています。使徒パウロでさえ「私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています」と言いました。なぜなら「私には善いことをしたいという願いはいつもあるのに、実行できないから」でした。そして「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています」と告白します(ロマ7:18‐19)。これが原罪を持つ人間の姿なのです。


 しかしだからと言って、それらを神が見逃してくれるということではありません。私たちの内に宿る聖霊によって、からだ(肉)の行いを殺すなら、私たちは生きる、のです(ロマ8:13)。祈りによって勝利を得るということです。


 主イエスがささげたゲッセマネの祈りは、勝利の祈りの模範です。肉の思いを宿す私たちにとって、サタンや悪霊に勝利する方法は祈りしかないのです。主は「目を覚まして祈っていなさい」と言われました。常に霊の目で物事を見、そして祈りなさいと言われるのです。神のみこころにゆだねて祈ることもまた、神への愛の表現です。どんなことも、心を尽くして、みこころが成りますようにと祈りたいと思います。


 

祈り:愛する天のお父さま。祈りの内容が願いばかりの祈りになってしまうことをお赦しください。私がどうなりたいか、どうしたいかではなく、主のみこころがなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


参照:King Comment, ハーベストタイム「マルコの福音書」


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