『主なる神は、落ち込むエリヤを励まされる。』
18章では圧勝したエリヤでしたが、19章では一変してアハブの妻イゼベルの脅迫を恐れてべエル・シェバまで逃げたのです。さらに、自分の死を願うほどに陥ってしまったのです。カルメル山でバアルの予言者450人と対決して圧勝した彼がどうして異教徒のイゼベルに恐怖を抱いたのでしょうか。
それは、3節で語っています。「かれはそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。」これはどういうことかと言うと、自分自身に目を向けて、神様から目を離してしまったのです。その瞬間に恐れに支配されてしまったのです。その結果が、失望、恐れ、に変わってしまったのです。立派な預言者エリヤでも神様から目をそらすということがあるのですね。私たちへの教訓のように思われます。
「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。」―ルカの福音書9:24―
失望したエリヤは、4節(一部抜粋)で「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」と祈る彼に、主は、御使いを遣わし、食べ物を与えて肉体を強められたのである。
さらに、主は、先祖モーセが主とお会いしたホレブの山にまで導かれたのである。そして、洞窟にいるエリヤに、主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と問われたのである。主は、きっと「そこは、おまえのいるところではないんだよ。」と、優しく呼びかけをされたのだと思います。その声はかすかな細い声であった。さらに、主は、エリヤの後継者となる預言者エリシャを備えておられたのである。こうして、エリヤは主によって恐れから解放されたのである。
主の声は、かすかな細い声でいつもささやかれています。主のその御声を聞けるようになるには、自分自身に目をむけるのではなく常に主から目を離さずにいくことです。平安な気持ちで聖霊さまをお迎えできるようになることです。
愛する天の父なる神さま。あなたのかすかな細い声のささやきを私にも聞かせてください。いつも心がざわついている私です。どうぞ、静まり、あなたの細い声を聞き取ることができるように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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