top of page
  • hccnichigo

2022年1月8日 ディボーション

詩篇第五巻 129篇


『下には永遠の腕がある』


 命令形というか、恨みや呪いの感情が込められているネガティブな詩篇に感じる。しかもレトリックが多い。

 まず1節と2節で2度も繰り返される、被害者としての立ち位置。「彼らは 私が若いころから ひどく私を苦しめた。」

 バビロン捕囚で体験した苦難のことだろうか。

「耕す者たちは私の背に鋤をあて 長いあぜを作ったが。」3節

 なにを暗示しているのかさっぱり分からない。

「彼らは 伸びないように枯れる 屋根の草のようになれ。」6節

 解説書には、ユダヤの当時の生活を知らないと理解できない詩篇だとある。ユダヤの人の家は石造りで、平らな屋上も家事や作業スペースとして使われてきた。だから雑草が生えたら、すぐに抜き取られてしまう。それが「伸びないうちに枯れる屋根の草」、というたとえなのだそう。

「通りがかりの人も「あなたに主の祝福があるように。主の名によって祝福あれ」と言うことはない。」8節

 大麦の刈り取りの季節、ユダヤの人は「主の祝福があるように」と声を掛け合ったという。ルツ記の落ち穂拾いのロマンスを思い出した。

 そんな麗しい挨拶すらしないって、それで129篇をおしまいにしてしまうなんて、どう黙想したらいいのだろう。なんだかハシゴを外されたようだ。


 今日のディボーションは空振り、うまくできませんでしたと祈ろうかと思いつつ、そういえば数日前にも同じように陰鬱な詩篇を読んだことを思い出した。124篇を読み返してみた。

「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。」1節

 そんな恐ろしい仮定はしてほしくない。前半の文体も129篇とそっくりだ。でも124篇には後半、「ほむべきかな 主。」、「鳥のように 私たちのたましいは 仕掛けられた罠から助け出された。」、「私たちの助けは 天地を造られた主の御名にある。」6〜8節

 129篇は124篇の後半を合体すると、アーメンできる! 

 苦難にあっても、神さまは絶対にお見捨てにならない。苦しい時ほど主を喜び、御顔を見上げたい。

 見上げられずにうなだれても、「下には永遠の腕がある」(申33:27)のだから!


 神さま、去年の7月、パスターは「イエスさまは一番低いところで下から支えてくれます。だから安心しなさい、神さまの希望に生きましょう」とメッセージし、神さまの時間に生きているれいさんの平安を伝えてくださいました。

 神さま、あなたの御顔を見ることを教えてくれた、れいさんを感謝します。れいさんの平安が増し加わりますよう祈ります。れいさんをもっともっと強く守ってください。どうかお願いします。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン

 

閲覧数:69回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿を荒廃させてしまったこと、なにより神さまが用意してくださった悔い改めのチャンスを受け取らなかったこと。 「そこで私は、顔を神で

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであった。それは、地上にいる獣と比較することができないほど恐ろしく、最強で、ものすごかったのである。まるで黙示録の中にいるようだ。

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の

bottom of page