top of page
  • hccnichigo

2022年9月17日 ディボーション

哀歌1章


『聖書はイエスさまを証するためのもの』


 イスラエルが捕囚に導かれ、エルサレムが荒廃した後、エレミヤは座して泣き、この哀歌をもってエルサレムのために哀悼した。と、七十人訳の前書きにはあるそうだ。

 1章はしんしんと降り積もるような悲しみが、繰り返し語り重ねられていく。3人称から1人称に変化するなど、どこか焦点の定まらない、うつろな、絶望の際の悲しみが伝わってくるようだ。

 エレミヤは主に召され、預言者として命がけで主のみことばを語り、エルサレムの民に悔い改めを語った。恐ることなく、あきらめることなく、真実の神さまを語り続けた。全身全霊を使い尽くして悔い改めを語ったけれど、エルサレムの民を救うことはできなかった。その無念さはいかばかりか。

 しかし前日のディボーションにあるように、エレミヤ書を通して私たちは、神の義があるから、神の愛が分かる。神の愛があるから、神の義が分かる。

 その一方で、エルサレムの民の痛み苦しみ後悔も分かる。

「ああ、ひとり寂しく座っている。人で満ちていた都が。」

「彼女はやもめのようになった。」(1節抜粋)

「その友もみな裏切り、彼女の敵となってしまった。」(2節抜粋)

 愛する人、築き慣れ親しんだ生活、それらを失ったエルサレムの民の喪失の嘆き悲しみはいかばかりか。

 しかし彼女らは被害者ではない。

「エルサレムは罪に罪を重ねた。そのため、汚らわしいものとなった。」(8節抜粋)

 彼女たちが神さまを裏切ったのだ。悲しいのは神さまのほうなのだ。神さまを悲しませたのは私なのだ。

 イスラエルの民が、そして私が悔い改めをしなかったために、エルサレム宮殿はめちゃくちゃに破壊された。同じところで罪なきイエスさまが十字架にかかってくださった。

 今週の学びのクラスで、「旧約も含め聖書は、イエスさまを証しするためのものです」とパスター。アーメン!


 愛する神さま、哀歌のように悲しい喪失の詩を読んでも、私は夫のことを感傷的に思い出すことはなくなりました。喪失を握りしめず、手のひらに乗せたら、イエスさまの愛が取り去ってくださいました。これほどの恵みはありません。

 イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン

閲覧数:49回

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿を荒廃させてしまったこと、なにより神さまが用意してくださった悔い改めのチャンスを受け取らなかったこと。 「そこで私は、顔を神で

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであった。それは、地上にいる獣と比較することができないほど恐ろしく、最強で、ものすごかったのである。まるで黙示録の中にいるようだ。

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の

bottom of page