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2022年1月10日 ディボーション

詩篇第五巻 131篇


『ダビデに倣う信仰』


 この歌の背景は、サウロ王や彼に仕える者たちによって、ダビデと言う人物像が歪曲され、彼らはダビデを、神に召されたと見せかけて王国を要求した人物、野心家で心は高慢、王になることを熱望している男だと吹聴していた時に、歌ったものであろうと多くの解釈者たちは提唱している。


 しかし、ダビデは神に訴えた。自分は、高い地位や偉大さを求めたことなどない。すべては、神より割り当てられた状況なのだから、自分の心は、乳離れした子供のようにおだやかである。だから、すべての民よ、自分のように神に信頼せよと励まし、この歌を終えている。


 サウル王は王権をダビデに取られまいとして必死である。しかし、ダビデは王権を望んでいるわけではない。ダビデは、神の計画を果たすために選ばれた人物であるがゆえに、サウル王が何をしようと、ダビデはイスラエルの王になるのである。

 旧約、新約の聖書を読んでいる私たちにとって、サウル王はいささか哀れに思えたりもする。サウル王は王になりたかったわけではない。しかし、王を求める民の求めを許された神によって彼は選ばれ、王として油注ぎを受けたのである。ただ、彼にはダビデのような信仰がなかった。主に忠実であったなら、サウル王の王国は永遠に確立していたのである。預言者サムエルは語る。「しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ」(第一サムエル記13:14)。

 

 サウル王はこの時、サムエルを待つべきであった。ペリシテ軍の軍勢を見て、不安になったサウル王はサムエルが来るのを待てずに、自らが祭壇にて全焼の捧げ物をささげてしまった。これは、主の命令に背く行為であった。この時、サウルの心を襲った不安とは、神への不信から来たものである。

 

 ここに、私たちへの教訓がある。イエス・キリストを主と信じ、主に全き信頼を置くなら、私たちの心には不安などなく、穏やかに、主の時を待つことができる。主の命令に従い、みことばに聞き従っているなら、私たちもダビデと同じように、どのような状況下にあっても、心はおだやかで、惑わされることはないのである。

 神は、いつも私たちに、イエス・キリストにある平安へと招いてくださっていることを覚えよう。

 

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタ11:28−30)


 祈り:天のお父様、あなたの御名を賛美します。ダビデの信仰に倣います。あなたの平安が私の心にいつも在りますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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