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2022年12月1日 ディボーション

2022年12月1日 ディボーション


エゼキエル書43章  


「神殿のすべての掟、すべての構造、すべてのおしえ」


 霊によって引き上げられたエゼキエルは、主の栄光が神殿に満ちている光景を目にした。それは、エゼキエルが1章で見たケバル川のほとりでの栄光に輝く幻のようであった。そして、神殿の中からエゼキエルに語りかけるのを聞いた。

 主なる神は、7節(一部抜粋)で、「人の子よ。ここはわたしの玉座のある場所、わたしの足の踏む場所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む場所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。」と語られている。

 さらに、神は、エゼキエルに10節(一部抜粋)で、「イスラエルの家が自分たちの不義によって辱められるため、彼らに神殿を示し、彼らにその模型を測らせよ。」と言われたのである。

 それは、イスラエルの民が二度と同じ過ちを繰り返さないためである。


 そして、主は、12節(一部抜粋)で「神殿に関するおしえは、山の頂の周囲全体は最も聖なる所である。」と語られている。私も昔高い山に登ったことがあるけど、たしかにそこはとても空気が澄んでいて、まるでこの世でないもののような神聖なる気配が漂っている感じがしたことを覚えている。ほとんどの仏教も山の頂に祭られているのは、根本的には聖書からきたものではないだろうかと考えさせられる。

 祭壇についてのおしえも厳しく述べられているのである。祭壇に全焼のいけにえと、罪のきよめのささげ物をささげ続けるということに対して疑問が生じた。イスラエルの罪はさばかれ、主の栄光は神殿にもどったのになぜ祭壇に全焼のいけにえと、罪のきよめのささげ物をささげ続けなければならないのだろうか。調べてみると、それは、きよめの生涯の象徴だということである。私たちクリスチャンの罪は、イエス・キリストの十字架の血潮によって赦されました。それゆえに全焼のいけにえや、きよめのささげ物をしなくていいのである。感謝なことである。


 「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩篇51:17



祈り

愛する天の父なる神さま。今日のみことばを心から感謝します。私たちクリスチャンは、砕かれた、悔いた心をもって御前におささげします。感謝し、委ねて、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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