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2022年12月12日 ディボーション

ローマ人への手紙6章 


『神の奴隷として生きる』 アイゾン直子

 

 パウロの時代、浸礼によるバプテスマだけが認められていました。体全体を水に沈めることは、古い人の死を表現し、水から出ることは、キリストと共に、新しいいのちに歩む、新しい人を表現しました。この霊的な教理について、ローマの人々は理解を示していました。しかし、神の恵みである罪の赦しに対しては、独自の解釈があったようです。

 

 彼らは、罪の赦しが保証されたということは、罪を犯す自由が与えられたということになるのではないか、と考えました。罪が増せば、恵みも増すとの教えに(ロマ5:20)、罪にとどまり続けるほうが、恵みも増す、と考えたのです。しかしパウロは、そのような考えに対して、「決してそんなことはありません」、と強く否定しました(1‐2)。

 

 キリスト・イエスにつくバプテスマ(聖霊によるバプテスマ)を受けた人は皆、キリストと一体化されます。キリストに起こったことが、罪人であった古い人にも起こるのです。古い罪の性質は、キリストと共に十字架で死に、キリストと共に葬られます。このことを真剣に受け止め、認めるなら、罪の中に留まり続けることは出来ません。死んでしまった古い人の性質に支配されることなど、ありえないからです(3‐7)。

 

 パウロがなぜこれほどまでに、罪について言及しているのかと言いますと、罪の誘惑は信者になってからも経験していくことだからです。神の教えに従おうとすればするほど、その誘惑は頻度を増し、また巧妙になると言います。キリストの奴隷となるのか、罪の奴隷となるのか、その選択肢は信者に委ねられているからこそ、自分は罪に対しては死んだ者、しかし今は、神に対して生きている者だということを認め続けることの大切さを、パウロは語ります(8‐16)。

 

 救いは、イエス・キリストが自分の罪のために十字架にかかって死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられたお方である、ということを信じた瞬間に与えられます。そしてそれと同時に、イエス・キリストの義が転嫁、さらに聖霊が信者に内住されます。私たちの姿かたちは変わりませんが、信じた瞬間にこれらのことが起こり、霊的に新しくされるのです。

 

 ただ、神のきよさには、まだまだ程遠い存在ですから、生涯かけて、聖霊の助けのもと、きよくされ続ける必要があります。神の義に与りはしましたが、まだ神のきよさには達していないのです。このことを知っていないなら、クリスチャンになってからも犯してしまう罪に苦しむことになります。

 

 罪から解放され、神の奴隷となりましたが、まだまだ弱さを持っています。だからこそ、聖霊の助けと導きが必要になります。聖霊によってきよさが完成した私たちの行き着くところは、永遠のいのち、御国なのです。(17‐22)。

 

 救いによって義とされた今、イエスが送られた聖霊に身を委ね、失敗を重ねながらも、最終的には、きよくされることを、心から、感謝したいと思います。

 

祈り:愛する天のお父さま。聖霊の満たしを求めることの大切さを学びました。自分の努力や知識では、神のみこころに応えることなど、出来ないということを、再度、確認しました。欠点がたくさんある、どうしようもない者ですが、引き続き、お導きください。主のご用のために、少しでも役に立つ働きをすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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