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2022年11月20日 ディボーション

エゼキエル書32章


「エジプトの最後の裁き」


 神である主は、エゼキエルをとおしてエジプトの王ファラオについて哀歌を唱えて彼に言えと述べられている。いよいよエジプトへの最後の裁きが述べられている。28章でファラオは自分のことを、「私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている。」と語り、29章では、「川は私のもの。私がこれを造ったのだ」と語り、32章では、「自分を国々の若獅子だと思っている。」と語っている。真の神を知らない者の神への冒涜である。これらの傲慢こそ神に罰せられ、裁かれることになったのである。


 ファラオは自分自身を国々の若獅子だと思っているが、神からいわせると、それは川の中で暴れ回る水中の巨獣(わにと訳されている)だと言われている。あえていうと、主なる神に敵対する怪獣と言われている。それゆえ、神は、3節から8節で裁きの預言を述べているのである。水中のわにを網で捕らえ、野に投げ捨て、地上の獣に食べて満腹させて、あなたの肉を山々に捨て、あなたの屍で谷を満たし、あなたから流れ出た血を山々に注ぎ、谷川もあなたの地で満たされる。そして、天体が光を失ってエジプトの地を闇で覆うということが述べられている。恐ろしい光景である。


 主なる神が、「人の子よ。エジプトの王ファラオについて哀歌を唱えて彼に言え。」と言われているのは、解説者によると、バビロン捕囚となっているユダの民に向かって、主の裁きの言葉がエジプトの上に成就して、この言葉を語られたお方が主なる神であられることを、ユダの民が知るためだと記されているのである。そして、エゼキエルの哀歌を聴いている捕囚の民が、主の御言葉に耳を傾け、悔い改めて心から主の導きに従うなら、イスラエルの民を神の選びの民として、イスラエルを再建させてくださるということである。



天の父なる神さま。今日の御言葉を感謝します。エゼキエルを通されて預言されたことは、イスラエルの民にだけではなく私達にも語られているということが示されました。御言葉に聴き従っていくことができますように

導いてください。感謝し、お委ねして、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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